平泉 〜浄土思想を基調とする文化的景観〜
ひらいずみ

岩手県西磐井郡平泉町・一関市・奥州市



2006年9月14日、平泉町、一関市、奥州市にまたがる平泉の景観をユネスコの世界遺産(文化遺産)に 推薦することが決まりました。2008年のユネスコ世界遺産委員会で登録の可否が決まることになります。
登録の対象は平泉町内では中尊寺、毛越寺、無量光院跡、金鶏山、柳之御所遺跡、達谷窟、奥州市内では白鳥舘遺跡、長者ヶ原廃寺跡、 一関市では骨寺村荘園遺跡です。
平安時代末期の奥州藤原氏の拠点となった平泉は当時東日本最大の都市でしたが、源頼朝によって藤原氏が滅亡すると 急速に衰退していきました。
その後大規模開発が行われなかったこと、江戸期には伊達氏が遺跡保護に力をいれたことなどによって 現在までこの景観が残ることになったと思われます。
この話題とはまったく関係なく、たまたま平泉周辺を訪れた私は久しぶりに城跡以外の地を旅してきました。 はじめはHPにアップすることなど考えてなかったのですが、世界遺産登録に推薦されるとのニュースが聞こえてきたため、 急遽、私が興味をもった場所を簡単にご紹介することにしました。


【上】中尊寺本堂


〜中尊寺〜

天台宗東北大本山。850年慈覚大師の創建といわれる。12世紀初頭、奥州藤原氏の初代清衡が造営に着手し、大伽藍を 完成させていった。
14世紀に堂塔のほとんどは焼失してしまったが、金色堂や多くの国宝、重要文化財を伝えている。(特別史跡)

【左】月見坂
麓からこの月見坂を登って行くと山上に金色堂をはじめ、その他にもシブい建造物が多く残っています。 団体客等多くの観光客が平日にもかかわらず訪れている光景は、長野の山城を攻めている普段とは大きく違うところ。

【左上】弁慶堂  月見坂の途中にあり。文化9年(1826)の再建。義経・弁慶ゆかりの仏像のほか、弁慶立往生の 木像が安置されている。
【中上】経蔵  建武4年(1337)の火災で2階部分が焼け、1階部分を修復して現在に至っている。(重要文化財)
【右上】金色堂旧覆堂  金色堂を風雨から守るため正応元年(1288)に鎌倉幕府によって建てられた。 昭和38年の大修理の際に新覆堂が建設されたため、現在の位置に移築された。(重要文化財)

【左】白山神社能舞台
江戸時代末期の嘉永6年(1853)に伊達氏の保護のもと建造された野外能舞台。(重要文化財)

金色堂から少し離れた所にあるため普通の観光客はここまであまり来ないようです。なかなかいい雰囲気をかもし出しています。
このようなところで開催される薪能なんぞを見たら幽玄の世界にドップリ浸ってしまうでしょう。

  

【左】弁慶の墓
中尊寺麓の国道沿いにある。
旧弁慶堂跡と伝えられ、しるしの松の傍らには、弁慶の墓石の伝えを持つ石塔が残る。
(特別史跡)

〜高館(たかだち)

高館は北上川に面した丘陵で、判官館とも呼ばれています。現在はその半ばを北上川に侵食され狭くなっていますが、 この一帯は奥州藤原氏初代清衡公の時代から、要害地とされていました。
平泉に落ち延びた源義経公は藤原氏三代秀衡公のもと、ここに居館を与えられました。
文治5年(1189)閏4月30日、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡公の子・泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと 伝えられています。〔案内パンフレットより一部抜粋〕

頼朝と泰衡には「公」が付いていないところが、地元の人々の気持ちが入っているところでしょう。
【上】柳之御所より高館方面  奥の山が高館。 入口は西側にあり、入山料?大人200円を払うことになります。

【左上】高館より東側の眺め   ここからの眺望は平泉随一といわれています。北上川が麓を流れ、前には束稲山(たばしねやま) が見える眺望のいいところです。
【中上】義経堂(ぎけいどう)  山の頂上には義経堂が建っており、天和3年(1683) 仙台藩主伊達綱村が義経を偲んで建てた。
【右上】源義経像  義経堂内に本尊として祀られている。本などでよく拝見するお顔。

元禄2年(1689)、平泉を訪れた松尾芭蕉が「奥の細道」で詠んだ「夏草や 兵共が 夢の跡」は、この場所といわれています。

〜柳之御所遺跡〜

柳之御所遺跡は道路建設に伴う昭和63年からの緊急発掘調査を経て、藤原氏の政庁跡と考えられるようになるまで様々な遺物、遺構が 発掘され、平成9年には国指定史跡になった。
平成10年からは遺跡の整備・活用を目的として発掘調査が本格的に再開され現在に至る。
【左上】高館から柳之御所方面  眼下に見える平地一帯が遺跡。巨大な堀跡、橋脚跡、大規模な建物跡、池跡、 その他陶磁器など、藤原氏の文化と経済力の高さを印象付ける発掘の状況、遺物は南側の柳之御所資料館(無料!)で、 見ることができる。質、量とも、かなり充実した資料館です。
【右上】資料館より柳之御所方面  バイパス工事と平行して調査を行っているため、周囲はほとんど立ち入り禁止で 現地を見てもなんだかよくわからない状況です。


〜伽羅(きゃら)之御所跡〜

『吾妻鏡』にみえる「伽羅の御所」跡で、「無量光院の東門に一郭を構え、伽羅と号す。秀衡が常の居所なり。 泰衡相継ぎて居所となせり」と、記されています。〔現地解説板より一部抜粋〕

柳之御所の南西側すぐの所に位置し、現在は宅地や畑になっています。

〜無量光院跡〜

藤原秀衡が建立した寺院で、モデルは宇治の平等院鳳凰堂。仮想の極楽浄土の地であり、当時の阿弥陀信仰 の影響がうかがえる。発掘調査によって中心となるお堂も、そこから伸びる翼廊も鳳凰堂よりひとまわり大きく 建てられていることがわかっている。(特別史跡)

【左上】無量光院 東側より  周囲はほとんど水田化していた。
【中上】礎石  当時は柳之御所との間に「猫間が淵」が入り込んでいた。
【右上】北側  昭和29年に調査された後、現在は復元整備にむけた調査が行われている。

現在は礎石だけが残っていて、なかなか当時の状況はつかめませんが、解説板には復元CGが載ってます。これを頭に入れてから 想像力をフルに働かせて歩くといいカンジ。

〜毛越寺(もうつうじ)

藤原氏二代基衡によって造営され、全盛期には堂塔四十余、禅房五百余あったといわれる。当時の堂宇は焼失したが 金堂円隆寺・嘉祥寺などの礎石が残る。さらに当時の庭園遺跡がほぼ完全に残っており、特別史跡・特別名勝の指定を受けている。 拝観料大人500円。

【左上】本堂
【中上】大泉が池  手前に南大門、そして中島、さらに池の向こう側の円隆寺へと続く二つの橋が架かっていた。
【右上】大泉が池  典型的な浄土庭園といわれ、所々に洲浜、立石、築山、鑓水の石組などが配されている。

ここも本堂の対岸に礎石だけが残っていますが、巨大な建物が池の向こうに並んでいて、そこまで池の中央に架かる橋を渡って いったという、当時の毛越寺の繁栄がしのばれます。

〜観自在王院跡〜

基衡の妻の建立で、大小の阿弥陀堂が池に臨んで建てられていた。建物は皆失われてしまったが、発掘調査に基づいて「舞鶴池」が 復元された。(特別史跡・名勝)

【左上】南門跡より  毛越寺の東に隣接しており、現在は史跡公園として開放されています。
【右上】舞鶴池  お弁当を広げるのにいい感じの所です。

〜金鶏山〜

金鶏山は毛越寺近隣の地割の基準、無量光院の借景の山だった。 山頂には多数の経塚が営まれていたため、神聖な山として捉えられていた。 昭和5年に盗掘されている。
藤原秀衡が平泉鎮護の為、黄金で雌雄の鶏を造り、漆詰めにして埋め、富士に形取り 築き上げた山であると伝えられている。〔現地解説板より〕(国指定史跡)

【左上】源義経妻子の墓  金鶏山登り口の千手院脇にあり、高館で亡くなった義経の妻子の墓と伝えられている。 元は千手院境内で、ここから約300m西北金鶏山の山麓にあったものを移したという。〔現地解説板より〕
【右上】山頂部  徒歩約5分で山頂。樹木で覆われていて眺望はききません。


〜達谷窟(たっこくのいわや)

延暦20年(801)坂上田村麻呂によって造営されたと伝えられている。源頼朝が鎌倉への帰路に見たこと、 また北限の磨崖仏でも有名。拝観料大人300円。(国指定史跡)

【左】達谷窟毘沙門堂  坂上田村麻呂が鞍馬寺の毘沙門天を勧請して本尊とし、鎮国の寺としたといわれている。 火災で二度焼失し、現在の御堂は昭和38年に再建されたもの。

征夷大将軍として蝦夷軍と戦い、延暦20年にはその討伏に成功をおさめたのが田村麻呂です。

【左】磨崖仏 毘沙門堂の西側の絶壁に、大日如来または阿弥陀如来といわれる像が浮き彫りされている。現在は顔から肩まで確認できる。
【上】毘沙門堂 鳥居  神仏混合時代の名残と思われます。

毘沙門堂はそれほど古い建物ではありませんが、なかなか荘厳な雰囲気をかもし出していて気に入りました。 磨崖仏も下半分は崩落してしまっていますが、かなり巨大なものです。

〜骨寺村荘園遺跡〜

一関市厳美町の本寺地域は中世に荘園があった場所で、ここが注目されたのは「陸奥国骨寺村絵図」(14世紀)にほぼ近い形で、 現在も中世荘園の面影を留めていることがわかった為である。
中世東北で唯一絵図に描かれた村であり全国的にも稀有な、当時の村の様子を知ることのできる貴重な遺跡である。

【左上】駒形根神社  荘園西側に位置し、やや高い丘の上にあります。下に詳しい解説板があり状況がつかめます。
【中上】神社より東方面  本寺川の両側に水田が広がっています。
【右上】北側山麓より南方面  特に何があるというわけでもなく、この景観が中世以来続いているものだと感じることが第一の 目的でした。一関博物館が展示替えの為に休館していたこと、何よりも大雨だったこともあって深く探ることはできませんでしたが、 中世の歴史を勉強している者にとっては、絵図を持ちながら歩いてみたいところです。


撮影日2006年9月
参考サイト平泉の文化遺産
一関博物館 骨寺村荘園遺跡」