中国〜西安・敦煌〜



2003年11月14日から18日まで中国の西安、敦煌へ旅行してきました。
時間が短くてどこでも駆け足の見学でしたが、撮ってきた写真を少し紹介します。



〜西安〜


西安(せいあん)は昔、長安と呼ばれ紀元前11世紀から10世紀初頭まで約2000年の間、「漢」や「唐」など の王朝によって都が置かれた歴史のある都市です。
秦の始皇帝、前漢の武帝、唐の太宗、玄宗と楊貴妃など歴史上の有名人を多く輩出してます。
また、シルクロードの起点としても有名で、ここから中央アジアやヨーロッパにまで交易が行われ、 中国の絹、茶、陶器が伝わっていきました。



成田から北京経由で西安まで約6時間。西安の空港は市街地から結構離れていて、車で約1時間程 かかります。最初の日は午後4時半の飛行機で成田を飛び立ち、西安のホテルに着いたのは午後11時。 ちなみに時差はマイナス1時間です。
左の写真は西安のホテルから撮った風景。
町中は建設ラッシュ! もうあちこち工事していて、これから近代都市へと生まれ変わっていくんだなって 感じます。それと同時に歴史ある物が破壊されないで、大切に保存されていくかどうかが心配・・・

明代城門、城壁
西安の街は城壁に囲まれており(惣構えですな)、周囲の長さは14q、高さは12m。これは唐の長安城を基礎に 1370〜78年にかけて、レンガを積み重ねて築かれた。
東西南北に門があり、物見櫓にあたる城楼が建っている。左上の写真は最大の大きさを誇る西門。ここからシルクロードが 始まる。そこから市内を見渡したのが右上の写真。城内の建築物は高さ制限があり、城の中心部にある 鐘楼の高さを超えてはならない。高層ビルは城外に建てることになる。


門は「内桝形」になっていて、左の写真は桝形内部。
現在城楼の中はおみやげ屋さん。でも、中の構造はそのままなので歴史を感じる事ができた。

慈恩寺とその中にある大雁塔(だいがんとう)
この塔は玄奘(有名な三蔵法師)がインドから持ち帰った教典や仏像を保存するために、唐時代の652年 に建立された。塔の高さは64mある。何度も修復が行われており、今では少し傾いている。
手前の公園には玄奘の像が建っている。


華清池(かせいち)
西安の街から西へ車で約1時間、ここは2700年前からの温泉場。歴代の王朝によって離宮、浴槽が つくられた。特に唐の時代、玄宗と楊貴妃のロマンスで有名な所。 寒さを避けるために毎年ここへ来て滞在していたという。

左上 楊貴妃が使った浴池  中上 玄宗が使った浴池  右上 浴池のある宮殿
着替え所などの廻りにも温泉が流れるようになっていて、天然の暖房としているなど、唐の時代の 高度な文明の跡がかいま見られる。

兵馬俑(へいばよう)
西安観光のメインイベント! 兵馬俑! これは圧巻。秦の始皇帝の陵墓から東へおよそ1.5qの 所にあり、これは陵墓を守る為に造られた。
上の写真は一号坑で幅62m奥行き230mの広さがあり、深さ5mの地下坑道で中国を始めて統一した 秦軍の威容を伝えている。
兵士や馬が実寸大で造られており、顔の表情などすべて異なるという。
エジプトのピラミッドを見た時に匹敵する感動。まさに当時の権力の象徴なのであろう。


兵馬俑一号坑の先頭部分 
こんなアングルはあまり見られないでしょう・・・

一号坑の後ろの部分
中国政府の方針で遺構の三分の一を復元、三分の一を発掘したそのままの状態、三分の一を 何もしない状態で残しておくとの事。
左上の写真が発掘した状態の所。全部バラバラに壊れている。
右上の写真は一号坑の一番後ろの所で、ここで発掘した物を復元する作業を行っている。 足下の台座には当時からの番号がそれぞれ付いているそうで、場所は確定できる為こちらに持ってきて いる。


三号坑
一号坑のとなりにあり、ここは18m*22m程の小規模な所だが、兵馬俑の最高指揮部隊に当たると 考えられている場所。
写真は指揮車両で馬4頭立て。木造部分は当然腐食してしまって無いので、 想像してみてください。
西安にはまだまだ行きたい所がたくさんあるのですが、まあ1日じゃあこんなもんで・・・
もっとじっくり腰を据えて見て歩きたい所です。


〜敦煌〜


西安から飛行機で約4時間。
敦煌(とんこう)は砂漠に囲まれたオアシス都市で、漢の武帝が紀元前111年に開いた。西域に対する最前線の 軍事拠点であり重要な役割を担った。
その後、何度も異民族の国家に占領されるなど、興亡の歴史が繰り返されたが、敦煌は誰が支配者に なろうとも、シルクロードを通る人々がもたらす文化が花開いた都市でありつづけた。
その集大成が大石窟の「莫高窟」であろう。

莫高窟(ばっこうくつ)
ここは断崖に造られた大規模な石窟で、大小500個近くの石窟がある。
5世紀前半から15世紀までのおよそ1000年間に渡って、壁画、塑像などが造られてきた。 中国の仏教美術史をここ一カ所で学べてしまう。保存状態も良く、これは敦煌が極めて乾燥した土地で あることと、仏教勢力下にあったため、大規模な破壊を受けずすんだことが関係している。 また、井上靖の小説「敦煌」、それを原作とした日中合作の映画「敦煌」でも有名。

莫高窟のある断崖は崩れやすく、現在は人工的に固められ、石窟一つ一つには鍵のついた扉があり、 厳重に保存されている。
観光客は莫高窟の研究者の案内によって、その中の10カ所ほどの石窟を見る事ができる。 しかし写真は禁止。色鮮やかな壁画が目を奪う。石窟を入った正面には仏像があり、時代によって 作風が異なり興味深い。
中上の写真が一番有名な九層楼。この中には高さ34m程の磨崖仏がある。唐の時代に山を削り、泥を かぶせて彩色したもの。

月牙泉(げつがせん)
敦煌の南約5qに位置し、広大な砂漠の谷あいに湧く三日月形の泉で200m*50m程の大きさ。 漢代から遊覧地として知られる。泉のほとりには楼閣が復興されている。

遠くに敦煌の街並みが見える

左上 玉門関(ぎょくもんかん)への道  玉門関は古代の関所で、漢代はここが国家権力の及ぶ西端で あった。敦煌の街から車で約1時間。周りには何も無い道が永遠と続く。
中上、右上 漢代の万里の長城  玉門関の近くにあり土壁である。数キロにわたって残っており、 これも敦煌の気候が破壊から守った。


万里の長城の続きにある狼煙台  のろしを上げる時、風が強いと煙が横になびいてしまい役に立たない。 その時にオオカミの糞を藁の束に混ぜると、煙は上にいったという。ここから狼煙(のろし)と いう字になった! へぇ〜へぇ〜・・・

左上、中上 玉門関  2000年の風雪に耐えた姿はもう鳥肌が立つほどの感動。 よくぞ残っていてくれた!という感じ。
右上 玉門関より西域を眺める  長城のさらに向こう側には川が流れ、その先はもう何も無い風景。 古代にはヨーロッパまで歩いて行った人達がいたのだ・・・

映画「敦煌」で使用したセット  五代の頃の敦煌城を復元したもの。現在の敦煌市街より車で20分ほど。
私には残された時間は無く、遠くから眺めただけ。


敦煌で私が泊まったホテル 敦煌賓館
敦煌では1日半の観光でしたが、やっぱりじっくり見ている時間は無く、普段、納得いくまでじっくり 山城を歩き回っている私にとってはやや不完全な見学でした。
でも、ちょうど観光シーズンが終わったところだそうで、わりあい静かなところで、 スムーズに観光地をまわる事ができ、今頃がオススメの時期です。

本場の中華料理は日本には無い珍しいものばかりでしたが、やっぱり味覚が少し違うのか、 おいしいっていう感じではありませんでした。あと、油のギトギト感は毎日食べているとうんざりしてきそう。 でも、屋台で食べた羊の足はなかなか美味なものでした。

西安、敦煌とシルクロードの旅になりましたが、歴史の奥深さを再認識してきました。
それから現在の中国の資本主義化というか開放路線はかなり進んでいると感じました。 これからますます経済発展していくと思わせる活気がみなぎっていて、旅行するのにも これからさらに便利になっていくでしょう。


番外編へ戻る