安中城

あんなかじょう




安中城は武田信玄の西上野進出の前面に立たされる事になった安中忠政によって、永禄2年(1559) に築城された。忠政は嫡子忠成を安中城に入れ、 自身は松井田城を強化して信玄に備えた。
同4年信玄は安中と松井田の中間、八幡平に 陣城を築き両城を分断。同7年には碓氷に侵攻し 松井田城、安中城も落城した。
長篠・設楽原の戦い以後、 一時廃城同然になっていたが、慶長19年(1596)井伊直勝が城を再築し、その後は陣屋造りで城主の入れ替えはあったが、 明治まで続いた。
<場所>安中市安中
<行き方>国道18号文化センター前信号を
入り文化センター駐車場へ
<駐車場>文化センター駐車場利用
<撮影日>2004年6月
<参考文献>『日本城郭大系』4

【上】安中城北面  北側に九十九川、南側に碓氷川が流れその間の台地に築かれている。
中央の文化センター建物付近が本丸、左手前の小山は太郎兵衛屋敷と呼ばれ、櫓台があった所。


〜本丸、大手付近〜

現在確認できる遺構はほとんど無いが案内板が各所に立っており、陣屋当時を偲ぶことができる。 安中氏時代も本丸付近を中心とした縄張りであったろう。
現在本丸跡には文化センター、安中小学校が建っている。

【左】大手口南側堀跡  現在は安中小東側の幼稚園と宅地の間の道になっている。この道を小学校脇へと 進むと大手口。
【上】本丸大手門跡  案内杭だけが当時を偲ばせる。

【左上】坂口門跡  安中小のプール脇、北側の崖手前にある。
【右上】北側の眺め  文化センター前信号。国道18号バイパスが通り、その先は九十九川が流れている。 このバイパスが城域を横断してしまっている。

【左上】坂口門脇の堀  現在確認できる唯一の遺構。本丸を囲む空堀の一部で崖に面した一部が残っている。 藪の部分。
【右上】広小路  東門から大手口まで延びていた大手道で、現在の道筋もだいたい当時のままの ようだ。


〜東門付近〜

現在の熊野神社前が東門で桝形があった。道がクランク状になっているのは今も変わっていない。

【左上】東門桝形跡  道がクランク状になっているのがわかる。右側に熊野神社がある。
【中上】番所跡  桝形の南隅にあり石垣があるが、当時のものかは不明。
【右上】熊野神社  起源は永禄2年の安中忠政が安中城を築城したときまで遡るという。 安中城の鬼門の守護神としたのが始まりといわれている。


〜西門付近〜

西門は現在の武家長屋の裏側になる。武家長屋とその隣りに旧安中藩郡奉行役宅が復元されていて、 有料だが公開されている。

【左上】旧安中藩郡奉行役宅  郡奉行とは藩の民政をつかさどる役職だった。平成5,6年に移築復元されて 公開している。安中城の南西に位置している。
【右上】旧安中藩武家長屋  江戸末期に建てられたものといわれ、郡奉行役宅とあわせ復元された。

【左上】西門跡  長屋の裏手になるが、東門のようにはっきりとはせず。この道沿いに細長い桝形 があったようである。
【中上】大名小路  長屋、郡奉行役宅前の道は大名小路といわれ、武家屋敷があった。
【右上】代官町  長屋の前、北へ入る道付近が代官町だった。本丸搦手口側である。


【左】代官屋敷跡  代官町の通りを入った所。現在は耕作地。

【右】大手口  本丸南側にあたり、伝馬町信号から登ってきたところ。城下町は この下南側に広がっていたようだ。


〜櫓台〜

現在はバイパスができた為ここだけ反対側に離れて小山状になっているが、当時は堀で周りを 囲っていたけれども城域としてつながっていた。

【左上】バイパスより櫓台の眺め  太郎兵衛屋敷という地名が残る。九十九川に張り出した所で 見晴らしが利く。
【中上】櫓台  現在は耕作地になってしまっている。
【右上】北側の眺め  九十九川とその先の田園風景が見られる。



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