箱崎城
はこざきじょう

《別名》 鳩崎城・箕輪城 利根郡みなかみ町布施



箱崎城に関する史料は後世の軍記物であるが、天文10年(1541)以後は布施の地侍衆原沢大蔵が守り、森下又左衛門が城代を つとめたこともあるという。〔『須川記』〕

【左】北東側から箱崎城全景と須川川
赤谷川と須川川との合流地点の台地先端部に築かれている。 沼田から三国峠へ向かう街道筋が城の北側を通り、須川川沿いには大道峠 や切ヶ久保峠を越えて中之条や中山方面に抜ける道が通る。
写真奥の高台が城域。須川川はこの台地下を南側から東側を取り巻いて北方を流れる赤谷川に合流する。

『箱崎城要図』

【左上】北側空堀  要図ではAの部分。北西へ続く台地をここで掘り切っており、中央部には土橋が確認できる。
要図では東隅にも虎口が開いているが、『大系』に掲載されている縄張り図では役場麓から登ってきた部分は土塁が繋がっており、 おそらくBの郭内部に電波塔を建てた時にでも破壊されたと思われる。よって大手口はAであろう。
【右上】西側土塁  郭BのB付近の土塁。高さは1m弱。郭内部は藪がひどく未踏査となってしまったが、『大系』によると BとCを結ぶラインで堀があり、折れも確認されている。B付近では堀らしい跡のみ確認できた。藪の状態からして、 おそらく郭内部は耕作地だったようで、改変されている部分もあると思われる。


【左上】郭@内部  『大系』では郭@とAをあわせて本丸としているが、郭@とAの境部分は高低差約8mの段差ができており、 明らかに分けられる。郭Aより@のほうが低い位置になる。Aの内部が不明なため断言できないが、かなり大規模な土塁の囲み からして、@が主郭とみて問題ないと思われる。
【中上】郭B内部  郭内部は全体に藪であるため、写真も思うように取れず…
【右上】南西側 須川川対岸より  城域の先端部分が見える。


〜感想〜
沼田から三国峠手前の宮野城に行くまでのちょうど中間点にあたる。 交通の面からみても、吾妻地域へと通じる道が分岐しており、 重要な城である。
城域は広大で全体を土塁で囲んでいることから、地侍レベルよりももっと上の領主層が関与していたと思われる。 郭AとBの間の堀の状況を確認できなかったのが残念。


行き方 国道17号布施信号を西へ入り、みなかみ町役場新治支所の裏手の山
駐車場新治支所の駐車場借用
撮影日2008年10月
更新日2008年11月9日
参考文献 『日本城郭大系』4
『沼田市史』1995年
参考サイト 「余湖くんのホームページ」