平井城
ひらいじょう

藤岡市西平井



―歴史―

平井城は永享10年(1438)に勃発した永享の乱に際し、時の関東管領山内上杉憲実が、総社の長尾忠房に命じて築城したとされる説と、応仁元年(1467)に上杉顕定が築城したとされる説がある。いずれにしても、天文21年(1552)の後北条氏の平井城攻めで落城するまで、関東管領山内上杉氏の居城としての役割を果たしていた。(現地案内板より)

関東管領とは、室町幕府が東国を治めるために設置した鎌倉府において、そのトップである鎌倉公方を補佐して政務をつかさどった役職。したがって、東国におけるナンバー2ということになる。
貞治2年(1363)以後、上杉氏(山内・犬懸の両家)がこの職を独占した。さらに応永24年(1417)犬懸上杉氏憲が滅亡すると、山内上杉氏の世襲となった。この後、鎌倉公方と対立し、康正元年(1455)公方足利成氏が鎌倉を去ると、管領も鎌倉を離れて武蔵・上野国で活動した。

【上】入口の復元土塁
平井城は現在、主郭部分が城址公園として整備されている。発掘調査も平成7年度から9年度まで行なわれ、裾部に石積みされた土塁、横堀(幅約12m・深さ約3m)、側面に石積みされた竪堀や橋脚台跡、掘立柱建物跡、竪穴状遺構、厠跡などがみつかり、15世紀中ごろから16世紀後半の遺物が出土した。
なお、平井城から南西2kmのところに詰城とされる金山城がある。

平井城(主郭部)現況図(現地案内板)

【左上】主郭内部
主郭は鮎川に面した断崖と三方を囲む土塁・堀によって区画されている。
城域南端にある主郭の西に二の郭、笹郭、北に三の郭、その北に総郭を配し、南北800m、東西480mの規模を有していたが、現在遺構は主郭以外ではほとんど確認できない。
主郭内部は公園として整備されており、解説版も充実している。

【右上】主郭東側の堀と復元された虎口にかかる橋
遺構保存のためか堀底は浅く、「本物」感はかなり薄い。

【左上】竪堀
遺構保存のため、復元された竪堀と思われる。なぜ、郭に一部が食い込むように竪堀がつくられたのか謎である。

【右上】主郭北側の沢
この沢が北側の堀であろうか。

【左上】三嶋神社
二の郭からさらに西へ200mほど行った、山の麓にある。
関東管領山内上杉顕定が伊豆の三嶋大社から分祀、平井城の氏神として祀ったといわれている。そのとき笈で御魂を移した。笈は神宝として残っていて、渡御の式を今に伝えている。西平井の三嶋神社には、上の宮と下の宮があり、この社殿は上の宮である。また、「三嶋様」と呼ばれる賑やかな夜祭りが、11月14日に毎年盛大に行われている。(現地案内板)

【右上】仙蔵寺
三嶋神社の北隣にある。
鎌倉時代中期文応元年(1260)法印親玄の創建。室町時代関東管領山内上杉憲実が開基となり、中興したといわれている。江戸時代元禄元年(1688)文庫・経蔵を焼失し、宝暦4年(1754)法印二十三世広祐のとき再建された。境内には平井城ゆかりの三石の一つ蝸牛石がある。なお、将軍足利義政おかかえの御用絵師で、狩野派創始者である狩野正信筆による文殊騎獅子手持経巻図(保存のため非公開)を所蔵する。藤岡市に室町時代、京都の超一流の文化が流入していたことを実証するものである。(現地案内板)

【左上】常光寺
総郭内にある寺。
室町時代中期の明応3年(1494)黙海和尚が創立し、山内上杉顕定の菩提寺といわれている。文禄年間(1592〜96)に諸堂、文書等が焼失し、山内上杉家の位牌、記録等は現在に残されていない。その後、江戸時代初期の元和2年(1616)名厳和尚が再建した。この寺を菩提寺とした山内上杉顕定は、文正元年(1466)に山内上杉家を継ぎ、上野国守護・関東管領となった。なお、顕定は文武両道に秀でていた。たびかさなる戦いの中、永正7年(1510)長森原(現在の新潟県六日町)において、越後国守護代長尾為景(後の上杉謙信の父)と戦い、非業の死をとげている。(現地案内板)

【右上】円満寺にある上杉家供養塔
平井城から鮎川を渡った東平井にある寺。
室町時代前期の永享10年(1438)関東管領山内上杉憲実が平井へ退去のおり、鎌倉の極楽寺を東平井に円満寺として再建したといわれている。室町時代後期の天文21年(1552)平井城落城の時に焼失し、再建されたが慶長7年(1602)再び火災にあった。その後、江戸時代中期の明和5年(1768)現在地に移る。この寺には、江戸時代後期の文化9年(1812)三十四世浄如法印の代に建立した行人塚があり、昭和55年3月郷土史研究家により、行人塚から関東管領山内上杉憲房の墓碑が発見された。昭和63年5月1日墓域において、憲実公墓碑、顕定公墓碑を複製した供養塔を建立するとともに、憲房公の墓碑を修復し、追善遠忌法要が営まれた。(現地案内板)


―感想―

関東管領の居城として、城域は広大だったものと思われるが、見るべき遺構はほとんど残っていない。関東管領上杉氏ゆかりの寺社をめぐって散策するのがおススメとなる。


行き方 県道41号、西平井交差点を南へ約800m、左側。
駐車場公園内に大駐車場あり
撮影日2011年9月
更新日2013年12月7日
参考文献 『日本城郭大系』4
『藤岡市史』資料編 原始・古代・中世
参考サイト城と古戦場」 「埋もれた古城」 「余湖くんのホームページ