根小屋城

ねごやじょう




武田信玄は永禄9年(1566)に箕輪城を落とし、 西上野一帯を手中におさめ、北条氏康・上杉謙信 を脅かした。信玄が今川氏真を攻撃したのをきっかけとして、氏康は謙信に接近していった。 信玄は氏康に備えるため根小屋城を築き、信州の信頼できる将兵、望月甚八郎、伴野助十郎らを置いて 守らせた。
<場所>高崎市山名町
<行き方>県道30号城山団地入口の東側80m
コンビニを過ぎて白髭神社へと右折
神社を過ぎてそのまま沢の上流へ道なりに約150m
道が狭くなる所左側に城域に行く山道有り
<駐車場>山道手前に路駐
<撮影日>2004年6月
<参考文献>『日本城郭大系』4

【上】白髭神社より根小屋城  城域へのアクセス道がはっきりしないが、今回は北側にある 道から登っていった。約10分で二の丸へ出る。大手道はもう一つ東側の沢に沿ってあったが、 今の季節は途中藪になっており通行できず。
南側には「高崎自然歩道〜石碑の路〜」が通っており、城山町の「金井沢之碑」から「根小屋城」、 「山名城」、 「山之上碑および古墳」と縦断できる一日のハイキングコース。

【左上】本丸、二の丸北側にある帯郭  案内板は帯郭、二の丸と二つ立っていた。本丸とその西側に 二の丸があり、この二つの郭を囲むように横堀がある。その北側前面にある郭。本丸南側はそのまま山地と なっており、防御の普請は北側がメインとなる。竪堀も北面に何条か確認でき、段郭も下方へ続いている。
【中上】土橋と本丸、二の丸の堀切  手前に堀を渡る土橋があり、奥右側が二の丸、左側が 本丸となる。
【右上】井戸跡  土橋の手前にあり、堀と接している。井戸近くの本丸北側は水堀になっていたという。

【左上】本丸北側横堀  井戸のあるのは二の丸に近い西側でここは東側である。湧き水が少しあるようだ。
【中上】二の丸北側  二の丸付近はだいぶ埋まってしまったようだが、この先、二の丸西面に来て また深くなる。
【右上】二の丸  本丸より低く内部は藪となっているが、この虎口部分に土塁が見られる。

【左上】本丸  現在は木々が生い茂り見通しは利かない。
【中上・右上】本丸東西の桝形虎口  写真中上の東側虎口は桝形の窪地が明確にわかる。

【左上】本丸東側虎口下  この削平地は明らかに丸馬出しで、本丸東側下に位置する。
【中上】丸馬出し下部  横堀は本丸の周りを一周しているため三日月堀ではないが、半円状に 弧を描きながら横堀の一部となっている。
【右上】本丸南側横堀  堀の南側には北側の帯郭のような大規模な郭は無く、犬走り状の削平地が 続く。

【左上】大手口脇の竪堀  ここは堀状の武者溜まりだったとの事。城域北面の竪堀は整然と 並んでおり、途中横堀によって連結されている部分もある。かなり緻密に縄張りされた城と感じた。
【中上】大手口  丸馬出しの北東下にあり、写真奥に見えるのが左上の竪堀。 現在はこの大手道はロープが張ってあり、進入禁止状態。とりあえずここを下ってみたが、 途中で藪がひどくなり、西側へ移動しながら下ることになった。
【右上】城域北面からの北側の眺め  高崎市街が広がる。大手道から逸れたところで、桑畑跡 のような耕作地が広がっており、その中を下っていった。
藪の無い冬にもう一度来て、この北面をつぶさに見てまわりたい興味深い城である。



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