根小屋城ねごやじょう![]() 武田信玄は永禄9年(1566)に箕輪城を落とし、 西上野一帯を手中におさめ、北条氏康・上杉謙信 を脅かした。信玄が今川氏真を攻撃したのをきっかけとして、氏康は謙信に接近していった。 信玄は氏康に備えるため根小屋城を築き、信州の信頼できる将兵、望月甚八郎、伴野助十郎らを置いて 守らせた。
【上】白髭神社より根小屋城 城域へのアクセス道がはっきりしないが、今回は北側にある 道から登っていった。約10分で二の丸へ出る。大手道はもう一つ東側の沢に沿ってあったが、 今の季節は途中藪になっており通行できず。 南側には「高崎自然歩道〜石碑の路〜」が通っており、城山町の「金井沢之碑」から「根小屋城」、 「山名城」、 「山之上碑および古墳」と縦断できる一日のハイキングコース。 ![]() ![]() ![]() 【左上】本丸、二の丸北側にある帯郭 案内板は帯郭、二の丸と二つ立っていた。本丸とその西側に 二の丸があり、この二つの郭を囲むように横堀がある。その北側前面にある郭。本丸南側はそのまま山地と なっており、防御の普請は北側がメインとなる。竪堀も北面に何条か確認でき、段郭も下方へ続いている。 【中上】土橋と本丸、二の丸の堀切 手前に堀を渡る土橋があり、奥右側が二の丸、左側が 本丸となる。 【右上】井戸跡 土橋の手前にあり、堀と接している。井戸近くの本丸北側は水堀になっていたという。 ![]() ![]() ![]() 【左上】本丸北側横堀 井戸のあるのは二の丸に近い西側でここは東側である。湧き水が少しあるようだ。 【中上】二の丸北側 二の丸付近はだいぶ埋まってしまったようだが、この先、二の丸西面に来て また深くなる。 【右上】二の丸 本丸より低く内部は藪となっているが、この虎口部分に土塁が見られる。 ![]() ![]() ![]() 【左上】本丸 現在は木々が生い茂り見通しは利かない。 【中上・右上】本丸東西の桝形虎口 写真中上の東側虎口は桝形の窪地が明確にわかる。 ![]() ![]() ![]() 【左上】本丸東側虎口下 この削平地は明らかに丸馬出しで、本丸東側下に位置する。 【中上】丸馬出し下部 横堀は本丸の周りを一周しているため三日月堀ではないが、半円状に 弧を描きながら横堀の一部となっている。 【右上】本丸南側横堀 堀の南側には北側の帯郭のような大規模な郭は無く、犬走り状の削平地が 続く。 ![]() ![]() ![]() 【左上】大手口脇の竪堀 ここは堀状の武者溜まりだったとの事。城域北面の竪堀は整然と 並んでおり、途中横堀によって連結されている部分もある。かなり緻密に縄張りされた城と感じた。 【中上】大手口 丸馬出しの北東下にあり、写真奥に見えるのが左上の竪堀。 現在はこの大手道はロープが張ってあり、進入禁止状態。とりあえずここを下ってみたが、 途中で藪がひどくなり、西側へ移動しながら下ることになった。 【右上】城域北面からの北側の眺め 高崎市街が広がる。大手道から逸れたところで、桑畑跡 のような耕作地が広がっており、その中を下っていった。 藪の無い冬にもう一度来て、この北面をつぶさに見てまわりたい興味深い城である。 |