小川城
おがわじょう

利根郡みなかみ町月夜野



北上州の雄、沼田荘田城主沼田景久が西の備えとして明応元年(1492)に築城したと伝えられる。
景久はここに次男の次郎景秋を置き、小川を名乗った。三代目城主小川秀康が戦死した後、家を継ぐべき子息が なかった。その頃、上方牢人赤松孫五郎が城内に留まるうち、次第に軍議にも加わりその才を認められ、小川の名跡 を継ぎ、小川可遊斎となった。〔『加沢記』〕

可遊斎の時、沼田地域は上杉氏→北条氏→武田氏と支配者が変わる。可遊斎はその中でうまく立ち回り、武田氏時代には 沼田城代藤田信吉とともに、沼田を代表する在地領主となっている。 武田氏滅亡後は北条氏の配下になることを拒否され、可遊斎は越後へ牢人したと考えられている。
その後、小川城には小川氏門葉の一人、北能登守が居り、真田昌幸配下として天正20年(1592)頃まで在城した。 江戸時代となって沼田真田氏の五代目城主となった幼名兵吉は、寛永15年(1638)より18年間真田伊賀守信澄として 沼田城主となったが、それ以前小川城三の丸の陣屋に居住した。その後は廃城となった。〔現地解説板〕

【上】南西側より小川城全景
利根川段丘崖を利用して築城されている。この地は小川城と名胡桃城明徳寺城とを結んだ三角形の中に、 越後と上野を結ぶ街道である三国峠・清水峠越えの両街道筋の結節点があり、 利根川と赤谷川との合流点、さらに利根川の渡河点もある重要な場所である。
特に利根川西岸に位置する名胡桃城とは直線で約3q弱の距離で、選地・縄張り等が非常に酷似している。

『小川城要図』

【左上】主郭  南北約25m、東西約45mで周囲に土塁が僅かに残る。虎口南側には櫓台と思われる土塁状の高台がある。 主郭より先端部には「ささ郭」が付く。南北には沢が流れ、20m以上の断崖となっている。
【右上】主郭と二の曲輪間の堀  高さ南端部分で10m、上幅15mと規模が大きく、虎口のところに折れがある。 二の曲輪より西側は国道・上越新幹線の敷設で、ほとんど痕跡をとどめない。
その際に発掘調査は行われており、『小川城址』にまとめられている。山崎一氏の縄張り図も掲載されており、 名胡桃城との類似性も指摘されている。

【左上】ささ郭  主郭とは約1.5mの段差が付いている。内部はだいぶ傾斜している。 先端部は崩落があり、郭が削られてしまっていると思われる。
【右上】堀から二の曲輪(西側)方面  宅地化が進んでいる。地字によってかなり西側に城域が広がっていたことが想像できる。

【左上】南東方面の眺め  利根川対岸の明徳寺城とは直線で約2.5q。 おそらく利根川の渡河点はこの二城の間にあったと思われる。
天正九年六月七日付け、真田安房守(昌幸)宛ての武田家朱印状には「後閑橋」と書かれており、架橋もされていた。
【右上】南方面の眺め  遠くに沼田市街、手前の段丘上に名胡桃城がある。さらにその手前には猿ヶ京方面から流れてくる赤谷川 が利根川に合流している。


〜感想〜
遺構は主郭周辺のみだが空堀の普請を見ただけでも、築城技術の高さがかいま見られる。この場所の重要性から上杉氏が 侵攻してくる以前、沼田氏が勢力を張っていた頃から、沼田城の支城として小川城は築かれていただろう。
利根川段丘崖に築かれ、主郭から三の曲輪、その外側には根小屋、主郭の先端にはささ郭、沢を挟んで北側に捨郭と名胡桃城と 規模も含めて酷似する。空堀、虎口の造り、規模も似ており、現在見られる遺構は真田氏時代のものと思われる。

『加沢記』は江戸時代の史料であるため、内容は検討が必要な部分が多々あるが、戦国期、沼田地域の在地の動向が生き生きと描かれている。 それによると小川可遊斎は上杉謙信との謁見によって、小川氏の名跡を継ぎ、正式に小川城主となった。
文書史料における可遊斎の初見は永禄十年三月七日付け上杉輝虎(謙信)朱印状で、内容は越後から毎月十五疋(馬)の荷物受け渡し手形である。 小川城から上野の各所に荷物を運んでいく物流の拠点だったのであろう。
真田氏が沼田を支配する時代までこの役割は続いていたと思われる。


行き方 上越新幹線上毛高原駅から国道291号を南へ約200m。
駐車場国道沿いに駐車スペース 2台
撮影日2008年10月
更新日2008年11月1日
参考文献 『日本城郭大系』4
『沼田市史』1995年
唐沢定市「小川可遊斎文書について―吉川金蔵氏旧蔵文書―」『群馬文化』202 1985年
栗原修「越後御館の乱と上野国沼田地域―沼田在番衆河田重親の動向を中心に―」
 『武田氏研究』14 1995年
栗原修「戦国大名武田氏の上野支配と真田昌幸」『武田氏研究』18 1997年
群馬県埋蔵文化財調査事業団『小川城址』 1985年

『群馬県史』資料編7 1986年
「加沢記」『沼田市史』資料編1別冊 1995年
参考サイト 「余湖くんのホームページ」