下川田城
 しもかわだじょう

《別名》 川田城 沼田市下川田町



下川田城は沼田氏の一族川田氏が築いたと伝えられる。沼田氏系図には沼田景久―川田景信―信光 ―信清―光清―光行とあるが、天文21年(1552)北条氏の沼田進攻により滅亡したのであろう。
天正10年(1582)武田氏滅亡後、城主は山名信濃守義季から祢津幸直となり、沼田城西の守りとして、真田勢、北条勢の激戦地となり、 山名主水ほか地侍が多く討ち死にした。
天正18年(1590)北条氏滅亡後、真田信幸が沼田城主となり、一領国一城により廃城となった。〔現地案内板・『大系』〕

【左】東側より下川田城  沼田から権現峠を越えて中山方面へ抜ける道筋を押える。沼田城 からは利根川を挟んで南西約2qに位置する。


【左上】城域東端の郭  現在は内宿公民館が建っている。城域は耕作地・宅地化されているため、かなり改変されている と思われる。
【中上】加沢平次左衛門の墓  『加沢記』の著者。内宿公民館の裏に墓がある。
沼田城主5代真田伊賀守信直の家臣であったが、 天和元年(1681)真田氏改易後、川田城址の一隅に隠棲し、元禄5年(1692)65歳で没した。墓の正面の「覚誉皈本居士」が法名である。 〔現地案内板〕
【右上】北側より主郭方面  城域中心部は宅地の中の為、北側から東を廻って南側まで続いている帯郭「細郭」から主郭方面を 見る。『大系』によれば主郭は五角形で、周囲を空堀で囲んでいる。手前に堀が僅かに残っているのが確認できた。


【左】北側帯郭部分
帯郭から急斜面を下ると水田が広がり、そのままなだらかに利根川方面へ下っている。

【右】南側帯郭外側
現在は整備されているが、沢が流れて対岸には学校が建っている。城域北側・南側にはおそらく谷戸田が入り込んでいたと 思われる地形。



【左】沼田城方面
写真の右から中央へ続いている段丘の先端部分が沼田城。利根川と沼田市街地が間に広がる。


〜感想〜
『大系』に掲載されている縄張り図を見ると、東に突き出た段丘部分の根元を掘り切って城域とし、その堀切から主郭を囲むように 堀を普請している。その外側が帯郭となっており、思ったよりも規模は大きい。
だが沼田城「西の守り」としては役不足の感は否めない。未確認だが上川田にも城があり、三つの郭から成ると『大系』には 書かれているため、そちらのほうも気になる。


行き方 県道253号下川田公民館を東に入り約100m左側。
駐車場下川田公民館駐車場借用
撮影日2008年10月
更新日2008年11月12日
参考文献 『日本城郭大系』4
『沼田市史』1995年

「加沢記」『沼田市史』資料編1別冊 1995年
参考サイト