多胡館

たごやかた




木曽義仲の父、源義賢の館として知られている。義賢は源為義の次男で、近衛天皇が皇太子だった頃 (1139〜41)に、警護役の帯刀の長官だった。その後ここに移り住み、さらに 大蔵館へと移っていった。
久寿2年(1155)8月16日、甥の源義平に急襲され敗死した。
発掘調査によると堀から浅間山の1108年噴火のものと考えられる軽石層が見つかったことから、 噴火以前にこの館が存在した事が確かめられた。

【左】館南東側より  遠くの林、竹林になっている部分が館域である。現在北面に土塁、堀が確認できる。
<場所>群馬県多野郡吉井町多胡
<行き方>県道41号清水坂入り口バス停より東へ約300m先、南へ入る 薬師塚古墳手前案内板有り
<駐車場>無し 路駐
<撮影日>2005年9月
<参考文献>『日本城郭大系』4
畠山次郎『木曽義仲』銀河書房 1981年

『多胡館要図』



【左上】北側土塁  かなり竹林の密度が濃いため、写真ではわかりづらいのだが、高いところで1.5 m程の土塁、手前に空堀が確認できる。内部も状況はつかみにくい。北面以外の部分は宅地になってしまって いるようだ。
【右上】南側の眺め  南から北へと低くなっていく地形であるが、要害の地とは言い難い。


〜感想〜
鎌倉時代以前から存在した館であり、一部であるが遺構が残っているのはうれしいが、竹林の 荒れ具合が気になってしまう・・・
義賢の兄である義朝は源氏ゆかりの地、鎌倉に本拠を構えたが、そこは京から東海道経由での板東の 入口となる。それに対し多胡は東山道経由での入口にあたる。
両者はそれぞれ勢力を北上、南下させて行くが、その接触点となったのが大蔵であった。 義朝の長男義平によって義賢は滅ぼされたが、義仲はそのとき2歳、母と共に信濃へと逃れていく。



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