山名城

やまなじょう




山名城は源義家の孫新田義重の子義範がこの城に拠って山名氏を称し、以後八代山名城を護った という。その後、南北朝時代信濃南朝方の関東での橋頭堡として本格的に築城されたと思われる。
戦国時代に入り木部氏が要害城としてさらに改築し、天正18年(1590)まで 活動、現在の遺構はその頃の戦国時代末期のもので構造が複雑化、合理化している。
<場所>高崎市山名町
<行き方>県道30号山名町北信号を西へ
「山之上碑」案内板に従って約1q 入口案内板有り
<駐車場>登山道入口10台
<撮影日>2004年6月
<参考文献>『日本城郭大系』4

【上】山名城東側より  山名城の北西方向約800mに武田信玄の築いた 根小屋城がある。
この反対側(南側)に「高崎自然歩道〜石碑の路〜」が通っており、「山之上碑」から「山名城」 「根小屋城」「金井沢之碑」までハイキングできる。
「山之上碑」登り口側に専用駐車場が有り、そこから「山名城」まで約20分。

【左上】(簡単な)縄張り図  中央の本丸は空堀と帯郭で囲まれ、西側には小郭がいくつか有り、 東側に二の丸、三の丸、外曲輪(図には載っていないが)と続いている。
【右上】本丸  ベンチとテーブルが多数置いてあり、公園という感じ。石碑と案内板が 城跡だということを思い出させる。

【左】本丸南側の帯郭  本丸西側堀切の所から二の丸下まで続いている。
【上】二の丸、三の丸南側  左上写真の帯郭を東へと進むとこの場所にでる。二の丸と 三の丸の間の堀切からそのまま写真右下方向へ空堀が続いており、ここが堀内道となって 下部に大手口があった。

【左上】主郭南側帯郭 西部分  主郭の北側は大藪となっており、踏み込む事ができず。 二の丸、三の丸は何とか踏み込んだが、もう少し整備してほしい所。
本丸の東側は堀切、各曲輪が複雑に折れをもって、巧妙な縄張りがなされている。逆に本丸西側 は単純な造りで、戦国期以前の遺構ではないか。
【右上】三の丸内部  藪でまったく写真にならず・・・根小屋城と同様、冬にまたじっくり見てみたい。



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