赤須城

あかずじょう




赤須城は南北朝時代、船山城を拠点に発展した片切(片桐)氏の分流で、 片切孫三郎為幸がこの地に居城を 構え、赤須氏を称したとされる。発掘調査によっても南北朝、室町期以降の城ということが裏付け られた。
天正10年織田軍の伊那侵攻によって、赤須城も廃城となった。
<場所>駒ヶ根市下平
<行き方>県道49号駒ヶ根駅より東へ約800m
右側鉄工所の先を右折 梨の木信号左折
直進約1.5q
<駐車場>出郭部の休憩所 3台
<撮影日>2005年7月
<参考文献>『日本城郭大系』8、
『駒ヶ根市誌』古代中世編 1990年

【上】天竜川より赤須城  段丘上先端部に位置し、南側は宮沢川、北側は田沢川の浸食谷によって、 遮断されている。

『赤須城要図』



【左上】二の郭より本郭の土塁、空堀  現在、本郭、二の郭、添郭はマレットゴルフ場と化している。 さらに舗装道が段丘下との連絡道として城域を貫通している。主郭部の土塁は僅かに残っている。
【中上】本郭より外城  城域先端部の外城は本郭以西の部分より低くなる。現在本郭との間に 舗装道が通っているが、他の郭同様、堀切があったと思われる。
【右上】本郭より天竜川方面  樹木で視界が遮られてしまっているが、かなり見通しの利く場所である。

【左上】本郭より二の郭、出郭方面  道の両側が郭となる。
【中上】二の郭土塁  西側には規模の大きい土塁が残る。
【右上】二の郭と出郭間の堀切  この堀切から北側下の長春寺へと下りる道が付いている。船山城と 似たような造りであり、築城当初の大手道か。

【左上】長春寺  この付近には根小屋があったと考えられている。
【中上】北側斜面の竪堀  堀切からそのまま竪堀となっており、長春寺へ行く道から確認できる。
【右上】添郭  内部はマレットゴルフ場だが、周りを囲む土塁は大きく、上面は平場となっている。
添郭の西側には茶の城、伴城平といわれる城域が続いている。北側部分には巨大な堀切が確認できるが、 東側は耕作地となっており、旧状は留めていないようである。


〜感想〜
天竜川西岸段丘上に連なる巨大な城の一つであるが、武田氏が関与したと思われる 松岡城船山城飯島城などのように「伝三日月堀跡」というようなものはない。 ただ、伊那における武田氏の拠点である高遠城から 飯田城間を結ぶ中継基地としての場所にはふさわしいと思われる。
添郭を囲む土塁は北側が平場になっており、二段構造と言ってもいいくらいの広さを持つ。 わずかに土塁の形跡がある外城や本郭などよりも二の郭、さらに添郭のほうが、巨大な土塁を持っている ことは興味深い。



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