尼巌城・城裏城
あまかざりじょう・じょううらじょう

《別名》 雨飾城・東条城 長野市松代町東条


〜尼巌城〜


尼巌城は東条氏の要害とされる。尾根続きの金井山城寺尾城の詰城と考えられているが、金井山・寺尾城は 寺尾氏のものといわれ、東条・寺尾両氏の関係は少なくとも15世紀中頃以降対立関係にあったようである。 その後、戦国期天文19年(1550)の武田信玄の砥石城攻めに際し、 寺尾氏は村上氏に反旗を翻したが、東条氏はこれを拒んだ。
弘治元年(1555)の第2次川中島の戦いで、旭山城を破却した 武田方の善光寺平における前線はまだ屋代城・塩崎城であった。 弘治2年8月8日、信玄は尼巌城攻略を命じた真田弾正忠(幸隆)に対し早く同城を攻略するよう催促した書状を出している。〔『信濃史料』〕  また、信玄が隣接する西条を本拠としていた西条治部少輔に、城普請を行わせた8月25日付けの書状〔『信濃史料』〕が残っており、これが同年のものであれば、 尼巌城は8月半ば頃に落城したことになる。
城主であった東条信広は上杉謙信を頼り、26年後の天正10年(1582)、上杉景勝が北信を手に入れたのにともない、 尼巌城に復帰する。そして慶長3年(1598)景勝の会津への国替えにより、東条氏もそれに従ったため、廃城になった とされている。

【上】西側麓より尼巌城  撮影場所の近くにある玉依比売命(たまよりひめのみこと) 神社前に東条氏の居館があったといわれる。

【左上】尼巌山中腹より 海津城妻女山方面  海津城を囲むように 反対の西側には竹山城鞍骨城、 その尾根続きに天城城・妻女山がある。
【右上】尼巌山中腹より 寺尾城方面  寺尾城のある尾根の向こう側が 川中島八幡原となる。


【左】尼巌城 西端竪堀
城域は尼巌山山頂部から西側へ続くやせ尾根上にある。単純に郭が並んでいる途中、堀切と それに続く竪堀が確認できる。西端部は連続堀切から北西側、北側へ竪堀となっており、やや複雑な普請を行っている。
また、城域東側(主郭東側)斜面にも大規模な竪堀が1条確認できる。


【左上】堀切  尾根上の郭はやせ尾根の為狭く、土塁も確認できないが、堀切とそれに続く竪堀は規模が大きい。
【中上】二、三の郭手前  主郭へ向けて高くなっていく。三の郭西側の堀切は帯郭状に南斜面へと回り込み、二の郭西側の堀切と合流 する。
【右上】主郭  東西約23m、南北約8mの広さで、土塁は確認できない。背後の東側切岸下には帯郭が南北側にまで廻っている。 北東側と南東側に支尾根が延び、北東側には堀切もあり、その他数段の郭が確認できる。


〜城裏城〜


【左】郭部分
尼巌城主郭から北東尾根鞍部を越えると、小規模な遺構がある。郭としての明確なラインはあまりないが、東側背後の2重堀切は 明確に残る。


『城裏城要図』



【左上】北斜面竪堀  北斜面には大小6条の竪堀が確認できる。
【右上】東側二重堀切  写真奥の高い部分が主郭部分。これより東側尾根には遺構らしいものは無く、約30m先に土採場らしき 人の手が加わった跡がある。

【左上】尼巌城主郭方面  直線だとわずか150mくらいと思われるが、尼巌城主郭背後から、かなり急斜面となって鞍部まで 到達し、そこからまた登ってくるので、距離的にはかなりある。
【右上】北方面  長野市街が一望できる。手前右側のやや尾根に隠れている所が千曲川と犀川の合流地点。また、写真では 見えないが、城裏城の東側から北西に延びる尾根先端部には霞城がある。


〜感想〜
尼巌城は善光寺平の南東隅に位置するが写真でもわかるように、善光寺平を一望することができる地点であり、 麓には小県郡へ抜ける北国街道松代道が通る。
また、尼巌山の西・南・東側には岩壁が露出しており、比高も410mという要害の地である。 武田氏によって海津城ができる前の前線拠点として利用されたことは想像できる。

尼巌城では西端部堀切・竪堀と東端部の竪堀は規模が大きく、特に西端部は土塁の付け方が巧妙で、『長野市誌』の 指摘される通り、後付けの普請に思える。 この部分は武田氏によって普請された部分ではないだろうか。
城裏城の北斜面に連続する竪堀も同様に武田氏時代のものと思われ、北側に防御意識があったことがわかる。
城裏城は奇妙山烽火台との間に位置し、また北方面の尾根を下ると霞城をはじめとした善光寺平に下りることができる尾根が集まっている ため、尼巌城の東側の守りの意味も含めて築城されたと思われる。


行き方西側麓の玉依比売命神社脇より尾根に登り、 そこから山頂をめざす。徒歩約1時間半。
(登山道らしいものは無く、下記参考サイトの絵地図と2万5千分の1地図を見ながら登りました。 慣れていない人は
迷いやすいので要注意。)

城裏城は尼巌城主郭より約20分。
駐車場玉依比売命神社前 路駐
撮影日2006年12月
更新日2007年1月26日
参考文献 『日本城郭大系』8
長野市誌編さん委員会編『長野市誌』第12巻 資料編 原始・古代・中世  長野市 1997年
同『長野市誌』第2巻 歴史編 原始・古代・中世
信濃史学会編『信州の山城』信毎書籍出版センター 1993年
参考サイト埋もれた古城」 「北緯36度付近の中世城郭
信州山歩き地図」(登山コース参考)