青柳城

あおやぎじょう




戦国時代ここは青柳氏の支配地であったが、北信と中信の接点である為、数多くの戦の舞台となった。
小笠原氏−武田氏−織田氏−上杉氏−小笠原氏と青柳氏は従っていったが、天正15年(1587)に 当主青柳頼長は松本にいた小笠原貞慶によって謀殺された。
現在は武田、小笠原氏の改修による特色がかいま見られる。
<場所>東筑摩郡筑北村坂北
<行き方>国道403号六工信号を役場方面へ
そのまま道なりに直進
硯水寺の前を通り2q登ると搦め手前にでる
<駐車場>搦め手前に20台
<撮影日>2003年8月
<参考文献>『日本城郭大系』8
長野県観光連盟『信州の史跡百選』第一法規出版
1993年

 ↑ 長野道上り線筑北PAから見た青柳城

大手道は麓の青柳集落から続いている。また、清長寺は館跡であり名称は城主清長の名を取ったもので、 青柳清長の菩提寺である。

左上 搦め手口に復元建築された櫓門と太鼓櫓 ここから峰の先端にある一の郭まで15分程
右上 五の郭に行く途中の堀切

左上 二の郭手前にある冠木門(復元) 二の郭の虎口跡がわかる  右上 一の郭下北側に残る石垣 戦国時代末期小笠原貞慶時代の時に築かれたものと思われる。 布目積みの見事なものだ。高さ2m、長さ8mはあるだろう。

左上 一の郭先端から見た聖高原方面  右上 松本方面  ここは盆地に突き出た尾根上にある為、要衝の地といえる


一の郭 ここの虎口は武田時代のもの    



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