蟻塚城

ありづかじょう

《別名》 中之城




笠原の地は平安期には御牧だったため、当時から何らかの施設があったことも考えられるが、 現在の蟻塚城の遺構は室町初期のものといわれる。
城主笠原氏は諏訪氏の支族がここに住み着き、地名の笠原を名乗ったといわれる。
文献上では「吾妻鏡」に笠原平五頼直が平氏方に付き、木曽義仲配下の村山義直等の軍勢と信濃国市原 で戦って敗れ、越後国に逃れたとある。しかし、頼直は高井郡の笠原(中野市)の人で、戦いも そちらであったという説もあり、確定されていない。
しかし、その後も室町期の文献上に笠原氏は登場しており、その本拠は蟻塚城であったと思われる。

【左】「笠原馬場」より  谷津を奥に入った高台にあり、西側に伊那平を展望できる。
<場所>伊那市美篶
<行き方>国道361号笠原入り口信号北へ 馬場バス停右折 吉祥寺方面へ
道なりに山の中へ直進約800m右手 御射山神社
<駐車場>神社手前3台
<撮影日>2005年7月
<参考文献>信濃史学会編『信州の山城』信毎書籍出版 1993年

『蟻塚城鳥瞰図』



【左上】蟻塚城西側より主郭方面  神社入り口から段郭状に東へ登っていく。主郭まで約250m。
【中上】堀切  神社建立時にだいぶ地形は変わっただろうが、数カ所で郭間に堀切が確認できる。
【右上】御射山神社  二の郭に相当する場所で背後に土塁が確認できる。神社は昭和27年にこの場所に移設されてきたが、 その際地ならしを行ったところ礎石や青磁の陶片などが出てきたという。

【左上】主郭  神社背後の堀切を越え、腰郭を登ると主郭に出る。内部は林となってしまっており 現在見通しはまったく利かない。
【中上】主郭背後の土塁  東側背後から南北にコの字形に連なり、内部からの高さは東側で約2.5m。
【右上】主郭背後の堀切  湧き水があり、ここが水の手であったようだ。


〜感想〜
主郭から二の郭までの南側下部には腰郭、横堀らしき遺構も見られる。尾根上に郭を雛壇状に並べた 簡単なものだが、伊那地方においてはあまり見ないタイプではないか。
背後の山の尾根上には守屋山城があり、根小屋的な蟻塚城に対する詰め城的存在といわれているが、 今回は未確認。



城館探訪〜長野県〜へ戻る