旭山城

あさひやまじょう




旭山城の築城年は明らかでないが、現在の大規模な城郭になったのは武田信玄が川中島に進出してきて からであろう。川中島の第二回目の戦いの時、天文24年(1555)上杉謙信が善光寺東側にある横山城に陣を張った。 信玄と通じていた善光寺別当栗田鶴寿は寺の西にあるこの旭山城に籠もり、信玄はそこに兵や武器を送り込んだ。 それに対し謙信は付け城となる葛山城を築き、対陣は数ヶ月に及んだ。結局今川義元の仲介で和議が成立し、旭山城は破脚、両軍は引き下がった。
しかし、弘治3年(1557)武田軍が葛山城を急襲し落城させると、謙信も出陣し旭山城を再建して軍事拠点とした。
永禄4年(1561)の第四回の川中島の戦い以降、再び武田方が旭山城を占領し北信濃一帯が信玄の ものとなってからは海津城長沼城などの平城が重要な役割を果たし、実戦が主体である旭山城の役割も終わった。

<場所>長野市平柴
<行き方>国道117号岡田町信号西へ
「朝日山観世音」の案内板に従って行く
朝日山観世音を過ぎて
200m先旭山遊歩道入り口の看板を右折
100m先が遊歩道入り口
<駐車場>遊歩道前に一台駐車可
<撮影日>2003年11月
<参考文献>『日本城郭大系』8

左 遊歩道入り口  二通りの道があるがどちらからでも行ける。右に上がっていく道が 大手道にあたり主郭下へ通じている。ここから主郭まで約20分。

左上 主郭虎口部分  周囲は崩れてはいるが石塁が覆っていたと思われる。現在は高さ1m程である。
中上 主郭虎口より全体を見る  主郭の南側大手道が来るところに大きな腰郭が3段ある。
東側は虎口があり堀切を経て二の郭、そして100m先に展望台となる郭があり善光寺平一帯を見渡せる。
西側は堀切を経て三の郭群があり、この堀切は南下方へそのまま竪堀となっている。
城全体の北側は断崖となり裾花川の谷を隔てた向こう側が葛山城である。
右上 主郭南下の石垣  主郭だけでなく周囲の大きな郭は石垣を持っていたようであり、崩れた跡が 頻繁に見られ、相当な築城工事を行ったと思われる。

左上 主郭南側の腰郭  大きく分けて3段あるがそれぞれ8m近い落差があり実用的だ。 大手道はこの腰郭群の南下から東横を通り主郭、二の郭の間の堀切へと通じており、 防備として申し分ない。
右上 腰郭の石垣  大手道から登ってきて、この石垣が主郭まで続いていたら壮観な眺めであったろう。

左上 主郭西側の堀切  写真は南下から上に向けて撮ったもので、南方向へ竪堀となっている。 右側が主郭、腰郭となり左側が三の郭群が同じように南下へと段郭となって竪堀に沿っている。
右上 竪堀より主郭下の腰郭方面  石垣、石塁が所々に残っており、竪堀の中も石がゴロゴロしている。 竪堀の壁面も石垣が使用されていたのかもしれない。

左上 三の郭群を見下ろす  写真左に竪堀が写っているがそれに沿って郭がある。
右上 三の郭下の石垣  こちらの段郭の落差は2〜5m程で各郭も小さくなるが、石垣になっていたようである。

左上 主郭虎口部分を二の郭から見る  主郭の周囲は10m程の切岸となっている。
右上 東端の郭より善光寺平の眺め  この郭が見張り台となっていたのであろう。善光寺平一帯が 見渡せる。


左上 葛山城と大峰城の眺め  左手前が葛山城、右奥が大峰城
右上 善光寺より旭山城の眺め



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