芦田城

あしたじょう




芦田城は鎌倉時代に滋野系芦田氏により築城されたとされるが定かではない。
滋野氏系芦田氏が村上氏によって滅亡した後、小県郡依田から移ってきた依田又三郎光徳は芦田氏を称し、 城を再建整備、居館を芦田川を挟んで対岸に構えた。
光徳より五代目の信守の代には戦国時代になり、要害の地を求めて本拠を 春日城に移した。 そして、武田氏の配下となり川中島や東海地方に戦功をあげ、六代目信蕃は武田氏滅亡後、 徳川家康の佐久統一の命を受けほぼその任を果たし名声を博した。

【左】光徳寺より芦田城  光徳寺は城の西側約500mに位置しており、居館跡の南側となる。城域西側直下には芦田川が流れ、 天然の堀となっている。
<場所>北佐久郡立科町茂田井
<行き方>役場方面より県道40号古町集落手前を斜め左へ
約80m先道祖神の立っているところを左折し、橋を渡り道なりに約300m
<駐車場>3台
<撮影日>2004年4月
<参考文献>『日本城郭大系』8


【左・上】光徳寺山門と本堂  文明年間(1469〜87)芦田城二代城主芦田右衛門太郎光玄が 父である初代城主芦田備前守光徳の追福のために建立したものという。    

【左上】芦田城主郭下の展望台より 光徳寺方面  写真左が光徳寺でその右側(北側)一帯が 居館跡であるが現在は遺構はない。
【右上】北方面  立科の町並が広がり、その先小諸、上田方面の山並みが見渡せる。

【左上】主郭  主郭の周りは土塁で囲まれており、特に北側は最も高い所で2m程の高さがある。 写真で見えるのは「木の宮神社」 東側に土塁が切れて、石積みで土留めを施しているところがあり、 そこが主郭虎口であったようである。
【右上】主郭より二の郭  主郭虎口の下(東側)に東側一帯を取り囲むように二の郭がある。 他の郭も主郭を取り囲むように段郭を形成しているが、主郭以外は耕作地であったようで、 土地が均されている。

【左上】二の郭より主郭切岸  北東部隅の所で約3m高。
【中上】切岸下部の石積み  南側に確認できる石積みで佐久地方には珍しく丸い石を使用している。
【右上】内堀東側  城域北側から東側にかけて二重の空堀が確認できる。当時は芦田川に面し 急斜面である西側を除いて、コの字型に堀を巡らしていたと思うが、耕作地化しておりだいぶ消滅 してしまっている。

【左上】内堀北側と主郭方面  現在堀は跡を確認できるだけになっている。
【右上】外堀北側  北側がわずかに残っており、東側にいくと耕作地となっている。

【左上】外堀東側  おそらく堀は埋め立てられ、耕作地となったのであろう。
【右上】南側の道路  この道は内堀を利用したものと思われる。この道を下っていくと芦田川を 渡り古町公民館前にでる。



アクセスルート

立科町役場方面から来ると県道40号の古町集落手前に斜め左に入る道がある。逆に白樺高原方面 から来ると写真左上の所を右折する。どちらからも青い小屋が目印。
細い道であるが約80m進み、左側に道祖神があるT字路(写真右上)を左折し、芦田川を渡る。 後ろに見えるのが芦田城。
あとはそのまま約300m登っていくと終点が駐車場になっており、主郭まではそこから徒歩3分程。 途中に展望台がある。



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