淡路城
 あわじじょう

東筑摩郡波田町上波田



江戸時代に入った慶長18年(1613)、小笠原秀政が信州松本へ8万石で移封した時、春日淡路守道次(信次)が ここに屋敷を構えたといわれる。
七二会村(長野市七二会)を本拠としていた春日氏は小笠原貞慶が川中島に攻め込んだ天正12年(1584)に降って家臣となった。慶長12年(1607)には 秀政に属してその重臣となっている。
慶長19年に領内の新田を検地、翌年の元和元年(1615)4月の大坂夏の陣には従軍し、小笠原軍の戦後処理を 春日淡路一人で取り計らったという。

【左】淡路城石碑  西へ約1q行ったところにある櫛木城と同じく、 段丘崖を利用していたようである。

【左】石碑の周辺
住宅街となってしまった道端に石碑だけが残る。石碑には「慶長19年築城」と刻まれている。


〜感想〜
明治9年頃には四周に90cm程の土手がめぐらされ、馬場跡、出丸があったといい〔『昭和9年発行波田村誌資料』〕、 『波田町誌』には「一の堀」が図面に描かれている。現在遺構は確認できない。
淡路城(館)が完成した時期は、慶長18年前後のようだが、段丘崖を利用していることもあり、それ以前の戦国期にも館のような ものがあったのかもしれない。


行き方県道25号、波田駅踏切より 南側最初の道を西へ入る。約600m先右側に石碑あり。
駐車場無し 路駐
撮影日2006年8月
参考文献 波田町誌編纂委員会編『波田町誌』歴史現代編 波田町 1983年
参考サイト城と古戦場
飛騨の山猿大王