福島政則屋敷ふくしままさのりやしき![]() 豊臣秀吉子飼いの武将 福島政則は安芸、備後50万石の大大名であったが、元和五年(1619)に 広島城の石垣修築が武家諸法度にふれたとして、高井郡、越後魚沼併せて4万5千石の捨て扶持を与えられて、 ここに住居をかまえた。 寛永元年(1624)に64歳で病没。廟所はとなりの小布施町岩松院にある。 現在屋敷跡には高井寺(こうせいじ)があり、ここの東北隅に高さ2m、長さ19mの土塁が残っている。
![]() ![]() 高井寺本堂と付近の田園風景。土塁はこの本堂の裏手にあるので、近くで見ることはできなかった。 ![]() ![]() 福島政則火葬場跡 屋敷の北500m程の田圃の中にある。高井亭から案内標識があるので 迷わず行ける。 火葬の際幕府検死役を待たずに火葬したとして、 領地は没収された。幕府の豊臣大名つぶしの最大被害者と感じた・・・ ![]() ![]() 岩松院 福島政則霊廟 上高井郡小布施町雁田 須坂から来ると県道358号中松中央信号の一つ先交差点を右折。突き当たりが岩松院。 駐車場20台 左上 本堂の左奥を登っていくと古びたお堂がある。その中に五輪塔がある。 右上 岩松院全景 |