御天城

ごてんじょう




御天城は駒形城背後の尾根を 南へ登っていった標高1300m、比高500mという全国的にも珍しい 山奥にある。築城経緯については現在二つの説があり、一つは駒形城、 干沢城など諏訪大祝家の詰城説。
もう一つは鎌倉幕府滅亡の時、諏訪盛高が執権北条高時の子亀寿丸(時行)を奉じて諏訪に逃れ、 その時の隠れ城という説である。隠れ城についても諸説あり、どちらも決定的なものではない。
<場所>茅野市宮川
<行き方>国道152号杖突峠より
晴ヶ峰カントリー倶楽部方面へ
千代田湖手前約500mカーブがきつい所があり、
カーブミラーの所から山の中を北へ入る
約150m先尾根を越えて北側
<駐車場>路肩に2台分スペースあり
<撮影日>2004年4月
<参考文献>『日本城郭大系』8
茅野市編『茅野市史』中巻 中世・近世
1987年

【上】御天城先端部からの眺め  茅野市と高遠町との境になる尾根上から茅野側に少し降りた所に 自然地形の平坦地が南北300m、東西150mにわたって広がる。(3万分の1の地図でも等高線で 確認できる)その北端からは諏訪湖から茅野、原村、富士見方面まで見渡すことができる。
また、北西側には杖突峠、今は消滅しているが杖突峠の脇道小飼峠、南側には金沢峠など が通り、諏訪と伊那を結ぶ主要道が通っている。

【左上】城域南端部の堀切  南端部は平坦地が狭まりくびれており、そこの部分が堀切られている。 この南側は急斜面の上りとなっており、その上にも削平地が確認できる。
【右上】堀切北側の土塁  堀切の部分からくびれ部分の両側に土塁があり、そこから一旦やや下って、 再び登ったところが広大な平坦地。

【左上】堀切西側下に広がる窪地  西側の谷へとつながる部分であるが、ここも50m四方ほどの 平坦地で、建造物がここにあったと思われる場所。ここなら隠れ城としては申し分ない場所だ。
【右上】広大な平坦地  南北300m、東西150mという平坦地が広がる。自然地形なので あろうが、他にこのような地形が付近に無いので、山奥に突然あるここは異様に感じる。

【左上】平坦地下の堀跡?東部分  現在平坦地の下をぐるりと道が取り巻いているが、堀であったようである。 東側は数メートル下を通っている。
【右上】北側部分  その道は北側にかかるとイッキに下って、平坦地から20〜30m程下まで下がって いく。道からさらに下は急斜面で60m程下には林道坂室線の舗装道がわずかに見える。

【左上】西側部分  ここから再び上りになって西側窪地まで行く。
【右上】南西部分  道の右側に湧き水があり、水の手となっている。

【左・上】西側土塁と道  窪地の西側には土塁を伴った道が南上の尾根方向に延びており、当時の ものか判別しがたい。道は現在も防火帯として利用されているようで、手入れがされている。


【左】堀切南上の段郭か  広大な平坦地を見下ろす位置である。
広大な平坦地があり、周りに堀をめぐらし、その下は急斜面が続き防御することはしているが、 背後はわずかに堀切があるなど全体的には防御性は乏しい。詰城説は地理的条件も入れて かなり疑問である。


【左】アクセス場所  千代田湖手前約500m、カーブミラーが有るところから、北へ谷筋を 上っていく。尾根に出ると道があり、そのまま下っていくと約50m左側に堀切が位置する。
そのまま道を下っていくと、林道坂室線から枝分かれした道にでる。



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