埴原城

はいばらじょう




埴原(はいばら)城は埴原氏が拠った城で、埴原勅旨牧(御牧)が荘園化された頃(鎌倉時代)に牧場地帯から 西の松本盆地の南部に下り、村井に館(小屋城)を構えて村井氏を称した。その頃に要害城として埴原城を構えたのが この城の始まりと思われる。
室町時代に小笠原氏が信濃守護職として入部した為その支配下に入った。戦国時代に入ると甲斐の武田氏が 信濃に侵攻を始め、小笠原氏は本城の林城の南にある埴原城の整備強化をはかった。
天文17年の塩尻峠の戦いの後、 天文19年(1550)信玄が松本へ侵攻した時、まずこの埴原城を攻撃し占領した。 それがわかると小笠原氏の本城の林城をはじめ支城四城が自落したという記録がある。
<場所>松本市中山
<行き方>県道63号蓮華寺入口を入る
<駐車場>蓮華寺に10台
<撮影日>2003年10月
<参考文献>『日本城郭大系』8



埴原城はいわゆる馬蹄形の尾根上に郭が展開しており、主郭はその二筋の 尾根が合流した北側に位置する。主郭の下に二の郭があり、そこから南に向かって二筋の尾根が広がり、 東尾根には三の郭、西尾根には西小屋という大きな郭群がある。その両尾根下の中間に蓮華寺があり、 その西隣が御屋敷の段郭群。その段郭の上から登山道がある。

【左上】埴原城主郭部  ここまで御屋敷から約30分。南側に虎口があり、東隅には高さ2m程の土塁が 確認でき、その先北方面はいくつかの大きな堀切がある。
【中上】主郭中央部の井戸跡  林城と同じように奥の山から引水し、二の郭の下方まで井戸に貯水して いたようである。
【右上】主郭南下の石垣  高さ2m幅10m程あり、北側、西側にもだいぶ崩れてはいるが確認できる。 この様式の石垣は松本平近辺の城のみに見受けられ、戦国時代末期、武田家が滅亡後、この地方を支配した 小笠原貞慶の時代のものといわれる。

【左上】二の郭  主郭の南側下方にある。この下の三の郭との間もそうだが、各郭の比高が20mはあるだろうか。 その間に小郭がいくつもあり、埴原城全体でも相当数の小郭が存在しているようである。この二の郭から 尾根が分かれており東側下方には三の郭、西側下方には西小屋と呼ばれる地籍がある郭群がある。
【右上】主郭と二の郭との間にある湧き水(井戸か?) ここは現在でも水が湧き出している。

【左上】三の郭  私は登城口がわからず、三の郭がある尾根を下から登ってきたのだが、下部は 竹林になっており大苦戦・・・あとでもう一方の尾根下にも行ったが、やはり竹林。 蓮華寺脇から登山道を登るのが一番のようである。
【中、右上】三の郭下の大堀切  尾根上を登ってくると三の郭の下に4条の堀切があり、一番下の堀切は 中でも最大で10m以上の高さがあり、そのまま竪堀となっている。馬蹄形の内側はかなりの急斜面 で、どちらかというと外側の方がゆるい。そのため外側には小郭が多数ある。

【左上】西小屋の段郭  埴原城は縄張りが複雑で地形的なものもあるが、各郭の位置関係が把握しづらい。 一応、城郭大系の地図を持って行ったのだが、恥ずかしながらそれでも方向感覚がズレて苦労した。
本城の林城よりも堅固な城に感じた。
【中上】御屋敷  現在は畑になっているが町割りが確認できる。ここが大手口か。
【右上】蓮華寺前から松本平方面  松本平を隠すように正面に中山があり、この山が有ることにより さらに防備を固めやすかった。当然この中山にも砦があったようである。


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