埴原田城

はいばらだじょう




埴原田城は文明年間(1469〜)に諏訪氏の支族である埴原田小太郎行満が築城したといわれる。
上原城とは永明寺山を挟んでちょうど反対側、北東方向に位置し、 山浦地方に睨みを利かせている。
文明15年(1483)上社内訌が起こり、干沢城の大祝諏訪継満により、 小太郎行満は諏訪大社前宮神殿で諏訪氏惣領である兄政満らと共に謀殺された。
<場所>茅野市米沢
<行き方>県道192号埴原田口バス停の信号の無い交差点
西へ入り突き当たりの
埴原田バス停斜め右奥の旧道へ入る
50m先左側観音堂が入り口
<駐車場>無し 県道沿いの店の駐車場利用
<撮影日>2004年1月
<参考文献>茅野市編『茅野市史』中巻 中世・近世
1987年


【左上】主郭  奥に祠が並んでいて柵に囲まれている。一番北東隅に埴原田小太郎の石碑が建っている。
【中上】主郭背後の土塁  北側にあたり、祠の裏側に土塁が確認できる。
【右上】土塁の所より二の郭方面  観音堂より腰郭を4段ほど登ってくると二の郭、主郭がある。 約5分で主郭。小さい城である。東側は急な斜面で、南、西斜面は段郭状に防備を固め、 背後の尾根は2条の堀切、その後ろにも大きな郭が2つある。

【左上】二の郭  主郭より見たところであるが、小さい郭で腰郭の一つと言ってもいいくらいである。 東西両側に土塁が確認できる。
【右上】東側腰郭  東側は比較的急な斜面となっており、腰郭が続いているがかなり細長いものである。

【左上】主郭背後の郭  尾根は比較的広く、背後の防備は甘く、全体的に見ても平時の館として機能していた ように思える。
【右上】観音堂からの眺め  写真左側が大門峠方面。上川が中央を流れている。

【左上】観音堂  ここが城の大手口であろう。観音堂の左奥に回り込むと主郭への道がある。
【右上】鬼場城方面  城域内だと山の陰になって見えないが、 直線で約1.2qの距離である。



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