林城(大城・小城)

はやしじょう(おおじょう・こじょう)



〜大城〜

南北朝の争乱で功績を挙げた小笠原氏は信濃守護となって、井川館、林城を本拠として筑摩、安曇、伊那地方を 中心に支配していた。
林城は谷を挟んで林大城と林小城とに分かれている。さらにその周りには本城を囲むように 支城を設けており松本平一帯は小笠原氏の要塞と化している。
しかし天文17年(1548)の塩尻峠の戦いの後、 武田軍の勢いに呑まれて自落してしまった。
<場所>松本市里山辺
<行き方>市内松商学園脇 薄川の土手道を上流へ2q  金華橋を渡ると大手登山口
さらにその手前を左折して麓の道を案内板に従って2q行くと  林道を登り1q程で二の郭手前に出る
<駐車場>大手口 川沿いに路駐  二の郭手前 4台
<撮影日>2003年8月、10月
<参考文献>『日本城郭大系』8
『松本市史』第2巻歴史編T原始・古代・中世 1996年



写真は二の郭手前の帯郭(駐車場)より二の郭方面
大手口から来ると尾根上に大まかに20程の段郭が続き、さすが信濃守護の本城!と思わせる。 途中2カ所堀切がある。
そして上の写真の手前に大きな空堀があり土塁が築かれている。ここまで徒歩15分。

【左上】主郭 後郭より 土塁で周りを囲まれていて、下の二の郭の部分のみ開いている。
主郭の後ろに「後郭」が置かれておりさらに降りると堀切が二本ある。
また主郭を囲む土塁には石積みが見られ(右上写真)小笠原氏の築城法がよくわかる。  
【左上】後郭 写真奥が主郭になる  【右上】「化粧水」と言われる水の手 主郭下の北東部にある


〜小城〜


小城への道は大城の大手口より南側の谷を挟んで向こう側の尾根に向かう。
尾根の先端部分の下には道が通っているので下まで来ると墓場がある。その一番大城よりの所から小道があるので そこから登る。あとは尾根上を辿っていくと、段郭が出現してきて約20分程で主郭。
左の写真は麓の侍屋敷跡から小城を見たところ。

二の郭と郭下の石垣
主郭の下約3m北、東側をエル字型に囲む。

主郭と主郭下の石垣
主郭下には石垣が取り巻いていて特に東側と北側は写真のように見事に残っている。


主郭の南側の土塁下にある石垣
これは土留めであろうが、主郭内部の土塁で確認できるのは珍しい。
背後を守る土塁は3m程あり、その後ろは堀切、小郭が続く。
主郭北側の段郭はかなり大きく、尾根の下方まであり、所々竪堀が確認できる。 大城と比べても遜色のない大きさを誇る。

【左上】林小城麓の侍屋敷跡  奥に見えるのが大城。侍屋敷跡は町割りが確認できる程度だが、古い家や蔵が建ち並ぶ。
【右上】大城と小城の間の大嵩崎集落の谷  麓の部分しか写っていないが左側が大城、右側が小城となる。


小笠原氏が信濃守護の時代、この林城を本城とし、地方土豪の城を補強して支城とした。 主なものは林城の南、諏訪伊那地域方面の備えに埴原城、 東の山辺谷に桐原城山家城を配して、小県、佐久地域に備え、 西に深志城犬甘城、 北に平瀬城伊深城などがある。


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