光城

ひかるじょう




光城は鎌倉時代からこの地に勢力を張っていた海野氏の一族、海野六郎幸元が戦国時代初期に 築いて、光之六郎幸元と名乗ったと云われる。
海野氏の一族は会田、刈谷原、田沢、塔の原に城を築いて、この地域に栄えていた。
しかし天文22年(1553)3月、武田信玄が刈谷原城を落とした際に、光城は戦わずして落城 した。その後天正10年(1582)に松本城主となった 小笠原貞慶によって修復された。
<場所>安曇野市豊科光
<行き方>松本市街より国道19号田沢北信号右折
約1.2q先 光城山入り口案内板がある道を左折
約3q先峠付近に左斜め後ろに
入る道があり(案内板あり) 直進約100mで駐車場
<駐車場>4台
<撮影日>2004年4月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】犀川より光城の眺め  光城山という標高912mの山頂に遺構がある。西側からハイキング コースもあるようだが、東側の1.5車線の舗装された林道を車で山頂付近まで行くことができる。


【左】光城縄張り  現在は公園化しており、上半分は道などによりだいぶ破壊されてしまっている。 しかし、神社のある主郭とその南西の二の郭付近は遺構がよく残っている。
【中上】主郭北部の堀切  駐車場から南(主郭)へ舗装道を歩いていくと道の脇に確認できる。半分は道によって 破壊されてしまっているようだ。
【右上】竪堀  堀切から道の反対側(東側)にある。ちょうど橋が架かっている。


【左上】主郭北側の帯郭  主郭内には古峯神社があり、周りは土塁で囲まれている。主郭下には 帯郭があり、北側は幅広い。
【右上】主郭南側  土塁が南側に開いており、二の郭へとつながる。


【左】主郭より西側の眺め
犀川の流れが下を通り、その先安曇野、北アルプス方面が一望できる。

【左上】主郭より二の郭方面  堀切が1条あり、その先二の郭が広がる。北から東にかけて土塁が 確認できる。
【右上】二の郭南隅より  周りは帯郭が囲んでおり、そこから1m程高い所に二の郭が広がる。



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