日向城

ひなたじょう

《別名》 長坂城




日向城のある日向集落は建武元年(1334)の「大徳寺文書」にもみえる古い集落だが、 城についての記録はない。
伝説としては武田信玄家臣の長坂釣閑斎光堅の居城といわれている。
<場所>佐久市根岸
<行き方>県道145号糠尾バス停日向集落方面(南方面)へ
バス折り返し場より右手集落内へ。約100m先右折。
左側の尾根
<駐車場>日向公民館駐車場借用
<撮影日>2005年11月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】糠尾付近より日向城方面  中沢川の流れる谷の奥へ約1q入った西側にある。 比高も低く、そのため見晴らしは利かない。約2q東方には 前山城もあり、長坂氏の居城とすると どのような目的で、武田氏はこの城を取り立てたのか理解しがたい。

【左上】登城口付近  下長坂という地名が残り、屋敷跡と伝えられている所。城域尾根の北側下になる。
【中上】尾根先端部の帯郭  屋敷跡から左の尾根に登り始めるとすぐに東側から南側にかけて広い郭が確認できる。 この一番下の部分は馬場とよばれている部分で、南へ回り込むと広くなる。
【右上】二の丸  さらに数段の広い郭を登っていくと、本丸の下に二の丸が広がる。ここには上 長坂という地名が残る。

【左上】主郭  主郭には八幡宮があり、西側背後には土塁、大堀切が確認できる。
【中上】堀切  主郭背後には大堀切があり、土塁を挟んでさらに堀切がある。さらに西へ40m 程進むと土塁と堀切がある。写真は西端の堀切。
【右上】佐久平方面  日向城の視界の悪さを補うように、この谷の出口部に虚空蔵山烽火台がある。 (写真正面の尾根先端部)


〜感想〜
遺構は非常に良い状態で残っているが、選地としてはあまり良い条件とは思えない。 想像ではあるが当時中沢川に沿って諏訪方面やその他の地域に通じる間道が通っていたのかも しれない。
長坂氏に関して『南佐久郡古城址調査』では釣閑斎の子である源五郎昌由がこの地方の番衆として 遣わされ、ここに居住したのかもしれないとしている。



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