平原城

ひらはらじょう




平原城の記録が登場するのは平原全真が永正、大永年間(1504〜28)に、村上義清の支援により 上野からこの平原の地に入った頃である。その後、信玄の侵攻により平原城も落城。信玄はこの城を 佐久北部の拠点にしようとしたらしく、永禄7年(1564)に関東へ出陣した帰りには、ここへ帰陣している。 武田氏が滅び徳川氏がこの地に侵攻し松平康国が小諸城主になってから、平原氏は高崎へ行くことになり、 平原城は廃城となった。
<場所>小諸市平原
<行き方>国道18号を小諸から軽井沢方面へ行き、
平原信号の約500m先を左折 正眼院が目印
<駐車場>正眼院手前の大駐車場
<撮影日>2003年10月
<参考文献>『日本城郭大系』8

上の写真は正眼寺手前の駐車場(空き地)から東方面を撮ったもの。
平原城は浅間山の火山灰の土地と川などによる浸食によってできた谷からなる「田切り地形」によって できた地形をうまく利用した平山城である。現在は開発の波にさらされ宅地化が進み、写真の駐車場も 悪く言えば城を破壊して土地を均した所であろう。
ここに紹介している写真は城域のごく一部です。

左上 一番上の写真の奥に写っている所
高さ3m程の郭で南北に細長い郭が周囲に見られる。これは田切り地形によって南北にいくつもの 谷ができており、その間を東西に堀切として切り離して造った郭である為。南北50m、 東西20m程。
右上 石垣  いつ頃のものか定かではないが土留めとして使用されたものか。

主郭の東側に残る郭、谷の部分  この付近は正眼院の墓地らしく、郭上にはお墓があり、谷は道と なっている。このさらに東側、北側は宅地となっている。西側は正眼院、南側は宅地。

地形的にはかなり興味をそそるが、資料も無かったため城の全体像がつかみきれなかった。 再度チャレンジしたい。
あとはこれ以上の破壊をくい止めて、保存してもらいたいものであるが・・・



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