平尾城・白山城・平尾富士砦

ひらお・はくさん・ひらおふじ




平尾城、白山城、平尾富士砦は平尾富士(標高1156m)から西側の佐久平へ向かって延びる尾根上 に位置する。
平尾富士山頂には物見台の役割を果たしたと思われる平尾富士砦、そして砦と平尾城との中間に白山城、 下部に位置し城域のもっとも広い中心的な城である平尾城となる。
城主であった平尾氏は芦田氏の流れをくみ、当初小県郡依田に居住していたが、岩村田大井氏に 従い、平尾の地に館を築き、平尾氏を称した。
しかし、文明16年(1484)大井氏が村上氏の攻撃により滅亡すると自立し、平尾守信は永正年間 (1504〜21)に平尾城を築いた。
その後、平尾氏は武田、村上、徳川氏へと巧みに従属していき、戦火に遭わなかった城として、 佐久地方では貴重な城である。
【上】城域全景  西側の平尾氏館 跡付近から撮影。同じ尾根上といっても、それぞれピークを 持っており、山が三つ並んでいるという感じになる。
<場所>佐久市上平尾
<行き方>県道156号平根小学校付近から東へ入り、守芳院を目指す
<駐車場>守芳院駐車場借用 10台
<撮影日>2005年11月
<参考文献>『日本城郭大系』8
佐久市志編纂委員会編『佐久市志』歴史編2中世 1988年


〜平尾城〜

登り口は2箇所ある。守芳院の裏手を上って行った所に南北に舗装道 が通っており、そこを渡った谷を登る方法(搦手)と舗装道を南へ約200m行った山側に墓地があり、そこから尾根上を 登っていく方法(大手)とがある。どちらも道は途中で藪の中だったり、消えかかっており、登りは尾根筋(大手)を 行ったほうがわかりやすい。

【左上】大手道 堀切  尾根筋を登っていくと自然地形のようにも見える平場があり、その少し先に 堀切がある。ここから先には無秩序に配置された段郭が続いている。
【中上・右上】段郭  奥行きが狭く幅の広い郭が続き、主郭の下付近になると岩場がある。 こちらのほうが規模は小さいが同じ佐久平東側にある 内山城志賀城と似たような雰囲気である。

【左上】主郭  大手から登ると山頂部に主郭がある。主郭から東に大手の尾根、北東に副郭があり、 堀切を経て白山のある東方向へ尾根が続く。副郭の北側から東へ搦手道がついている。
主郭の周囲は土塁で囲まれている。南側に石段があるが、 主郭内部に秋葉社があり、その関連で造られたものと思われる。だが、現在は竹藪となり祠も崩れてしまっている。
【右上】城域東端部の土塁  主郭から切岸を降りるとほぼ同じ大きさの副郭がある。その先尾根上に 堀切、郭がつづく。東端部には土塁があり、外側に堀切で城域は終わる。

【左上・右上】搦手  副郭から守芳院方面に降りてくると谷の中に入り、水の手と思われる場所に 出る。当時のものかわからないが、石垣が所々に確認できる。
内山城の谷筋にもこのような 光景が見られ、その時は後世の耕作地跡と思ったが、『佐久市志』平尾城のところでは 水の手に関係する施設があったのではと推定している。

【左】守芳院  天文元年(1532)10月平尾守信が創建、弘治3年(1557)平尾守芳(平三)が 補修拡張したという。現在の地に移転したのは江戸期元禄10年になってからである。〔現地解説板〕

【右】平尾大社  守芳院から西へ少し下った所にある。守信が勧請したもので、守芳が 建て替えたという。〔現地解説板〕(本殿 市文化財)


〜白山城〜

平尾城から東へ伸びた尾根は途中で北へ向きを変え、白山城にいたる。平尾城主郭から 尾根筋を登って約30分。途中に電波塔へ行く林道が横断しており、尾根筋を分断 している。この林道は入口で柵がしまっており車での通行不可。

【左上】主郭北側堀切   主郭とその南側に数段の郭が確認できる。北側には堀切があり、その先細尾根を行くと、電波塔を経て スキー場のリフト降り場へと通じ、平尾富士へと行ける。
【中上】主郭より平尾城と佐久平の眺め  平尾城と物見台的役割のあったであろう平尾富士砦の 中間地点に位置する。平尾城と砦の間は比高、距離共かなりあるため、このピークに簡単な施設を設けたと思われる。
【右上】主郭南側下の郭  白山城内で最も大きい郭。南の平尾城側に堀切は確認できない。


〜平尾富士砦〜


【左上】南西下より  写真中央奥の平らな尾根が砦部分。「市民の森(野鳥の森)公園」から遊歩道 が平尾富士山頂まで通っている。ここから山頂まで約30分。白山城は写真左側の奥になる。
この付近は「佐久スキーガーデンパラダ」のど真ん中なので、シーズン中は入れるかどうかわからない。
【中上】主郭部分  神社が入っている小屋が建てられているので、多少の改変を受けているかもしれない。 物見台としては広い。南側にも尾根上に郭が確認できるため、詰城的な役割も担っていたのかもしれない。
【右上】南端部の郭  尾根南端部にある郭。主郭の南直下に副郭、堀切があり、そこから自然地形の 尾根が続き、南端部に削平された郭がある。


〜武田信玄との関わり〜
武田信玄による佐久侵攻で天文9年(1540)一日に36城を攻略したと伝えられるが、その時 従わなかったのが、 田口城内山城志賀城であった。天文15年(1546)信玄はこの3城を 攻略しているが、その際、平尾城主平尾為信の弟為守は志賀城に加勢している。
同17年上田原の戦い で信玄が敗れると平尾為信をはじめ、佐久の豪族達は反旗をひるがえすが、 平定される。
為信の子守芳は、武田氏に仕えることを嫌い、上野の 松井田城に身を寄せたが、松井田城が 武田氏に攻略されると降伏し、許されて平尾に帰った。


〜感想〜
城域は広く大井氏の居城である大井城にも近い位置にあり、当時の平尾氏の勢力の大きさがわかる。
大手道、搦手道には不規則な段郭が続いており、主郭虎口が明確ではないなどの 城の形態から、平尾守信の築城当時の遺構をよく残しているのではないだろうか。
本文中にも書いたが平尾富士砦は規模が大きく、詰城的な役割も担っていたと思われる。


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