平瀬城

ひらせじょう




平瀬城は信濃守護小笠原氏の本城である林城の支城として、 同時期、室町時代に府中北方を守る重要な城として造られたと思われる。
この地を領有統括していた平瀬氏は小笠原氏の信任が厚く、南北朝争乱期から関係が深く、 天文20年(1551)に武田軍によって落城した際も、自落した他の支城とは違い、徹底抗戦して 平瀬方の死者は204人に達したという史料が残っている。
<場所>松本市島内
<行き方>松本市街より国道19号を北上
豊科町との境界手前300m右側に
JR篠ノ井線をくぐる道がある(案内板有り)
入ってすぐ左折し右折 山麓に案内板有り
<駐車場>国道19号200m松本側に駐車スペース有り
<撮影日>2004年4月
<参考文献>『松本市史』第2巻歴史編T原始・古代・中世
1996年


【左上】犀川対岸より平瀬城(北本城) 【右上】平瀬城(南支城)
平瀬城は谷を挟んで北側尾根先端部、犀川に面した尾根上に本城、南側少し低い尾根上に支城がある。
眺望はよく、安曇野から松本方面まで西側一帯が見える。同じ犀川に面した山地を南下した 最南端部には犬甘城があり、平瀬氏は犬甘氏と同族といわれる。

【左上】国道19号より平瀬城  右手前が南支城、左奥が北本城。
【中上】平瀬城入口  本城、支城の間の谷の入り口に案内板があり、そこからしばらく車が通れる 幅の林道を歩いていく。支城には道が無いので途中から急な斜面に取り付いて登っていくことになる。
【右上】本城への入口  林道が途切れ、沢に沿って山道を100m程登っていくと北側斜面に 平瀬城登り口の案内板がある。そこから急な道を登って約15分。国道19号の駐車場から30分弱。


〜北本城〜

【左上】山道途中の段郭  谷に向かって段郭が途中に確認できる。
【中上】主郭・二の郭の土塁  南北に郭を間仕切るように土塁があり、正確にはこの土塁の奥西側(尾根 先端部)が二の郭、東側が主郭になるのでは。主要な郭はここだけで、その他に二の郭北、南に腰郭があり 小笠原氏の支城としては比較的規模は小さめである。
【右上】二の郭先端部  犀川に望む先端部で中上写真の土塁の奥になる。

【左上】二の郭より西側の眺め  松本平から安曇野方面一帯が見られる。
【右上】二の郭より北側の眺め  下には犀川、先には同じ犀川沿いにある光城が見える。

【左上】主郭・二の郭土塁より東側(主郭方面)  尾根側になり樹木が生い茂っているが、削平地がさらに奥まで 延びている。
【中上・右上】主郭東隅より  中上は尾根先端部方面、右上は南方面で主郭南東隅には小さな 供養塔がある。

【左上】主郭背後(東側下)の切岸  平瀬城も小笠原氏系の城の特徴である背後の大規模な堀切が あり、郭の規模からするとかなり大規模な防御を施して、背後の尾根から断ち切っている。
【中上・右上】主郭背後の堀切  樹木が生い茂っており確認しずらいが、4条の堀切が連続しており、 その後ろに尾根上の細長い削平地があり、さらに2条の堀切がある。


【左】主郭より南支城の眺め  下に見下ろすかたちになるが、本城と支城の相乗効果で 小規模ながらも堅固な守りが構築できたのであろう。


〜南支城〜

【左上】尾根先端部より北本城の眺め  南支城の尾根にとりつく道は無い。本城へ行く林道から 山道になるところが、沢の合流地点になっている。そこの部分から急な斜面を登りつめた所。
【中上】主郭の北西下の腰郭  尾根先端部から南東方向に尾根上を50m程行くと、削平地が 確認できる。南支城の尾根上には主郭とこの腰郭が確認できる。
【右上】主郭  本城からは死角になってしまう西側直下がよく見える。

【左上・右上】主郭背後の堀切  この堀切は主郭背後の南側(写真左上)から東側に回り込み、さらに北方向へ 竪堀となっている。右上の写真が主郭東下部分の横堀状態になっている所。
この東側下には腰郭が二段ある為、道としても使用されていたのかもしれない。

【左上】南側二条目堀切  主郭背後には4条の堀切が確認でき、結構規模は大きい。
【中上】堀切西側下  西側、犀川方面は急な斜面で竪堀状となっている。
【右上】南側三条目堀切
  


【左】堀切東側斜面下より
東側斜面は最初の堀切以降も竪堀状となって北方向の谷に向かって収束し、一つになる。 なかなか壮観な眺めだ。



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