伊深城

いぶかじょう




伊深城は平安時代末期にこの付近を支配していた岡田冠者親義によって築城されたという伝承があるが、 実際は室町中期以降戦国時代に信濃守護小笠原氏幕下によって築城されたようである。
天文19年(1550)に武田信玄の侵攻によって、林城深志城(松本城)など小笠原氏の 諸城と共に自落した。
城主であった赤沢氏に代えて小宮山氏が城代として入った。
平瀬城と共に府中北方を守る重要な城であった。
<場所>松本市岡田伊深
<行き方>松本市街より国道143号六助池信号右折
矢作信号右折し約100m先 旧道に入る道を左へ
約100m先小さい案内板が出ている道を左折
直進約300mで若宮八幡宮前
<駐車場>1台
<撮影日>2004年4月
<参考文献>『松本市史』第2巻歴史編T原始・古代・中世
1996年


【左上】若宮八幡宮  伊深城入り口にある。八幡宮手前に伊深配水池があるので、来るときはそれを目標にすると判りやすい。 城へは手前の道を登って行き、伊深第2配水池の脇を通って山道を登る。主郭まで約20分。
【中上】八幡宮前から南東方面  向かいの尾根上には赤沢氏の洞城があり、別名早落城という 城らしくない名前が付いている。
【右上】八幡宮前から東方面  三才山の先、峠を越えると上田方面、伊深城の東麓を北へ峠を越えると 刈谷原に出て上田、長野方面へと出られ、西麓を北へ行くと豊科、犀川方面に出られる交通の要所である。

【左上】主郭へ向かう途中の尾根道  八幡宮からしばらく九十九折りの道を登って行き、尾根に 出ると北西方面の主郭へと直線の道が150m程続く。南側には段郭状の削平地が確認できる。
【中上】二の郭より主郭方面  二の郭と呼ぶ程の広さは無いが主郭の南下に削平地があり、 そこからまた切岸を上ると主郭下を帯郭が囲んでいる。
【右上】二の郭  主郭、その下に帯郭、そしてこの二の郭があり、城としての規模は小さい。

【左上】帯郭より主郭  帯郭は結構広く、城の背後北側以外を囲んでいる。
【右上】主郭下切岸に残る石積み  わずかではあるが主郭南側下に確認できる。

【左上】主郭  周りを土塁が囲む楕円形であり、南北20m、東西10m程の規模である。
【右上】主郭より南側の眺め  松本平が一望できる。まさに府中北方の鎮城だ。

【左上】主郭背後の堀切  背後の北尾根を断ち切る堀切は大きなものが4条あり、これは小笠原氏系の 城の特徴である大規模なものだ。
【中上】北尾根より主郭背後の切岸  高さ10mはある。手前の堀切は二重になっている。
【右上】西側の眺め  向こうの尾根裏には平瀬城がある。さらに向こうは北アルプスまで見ることが できる。この日は残念ながら見えなかった。



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