飯田秋葉山城

いいだあきばやまじょう

《別名》 飯田城、秋葉山砦

長野県北安曇郡白馬村神城飯田

 史料からみた飯田秋葉山城

飯田秋葉山城に直接関係する史料はない。

○天文22年(1553)8月9日、武田晴信(信玄)は大日方美作入道・上総介父子に宛てて、条目を送っている。その一条目には「飯田・雨降間(嶺方)の事は、仁科盛康へ色々と条件を付けて知行地として渡した。奥郡(飯山方面)が武田のものになった際には、どこでも(大日方の)要望通りに替地として渡す」と記されている(「大日方家文書」〈『戦武』381〉)
武田氏はこの年の正月に出仕してきた仁科盛康へ飯田・嶺方の地を宛行ったことがわかる。
しかし、両地域は先に大日方氏に宛行われたものであった。大日方氏には川中島における上杉氏との戦いに勝利したならば(上杉氏から奪い取った地域から)どこでも望みの土地を与えることを約束しつつ、対上杉氏への奮戦を促している。

○天正10年(1582)3月の武田氏滅亡後、上杉景勝は家臣の西方房家に命じて小谷・白馬方面へ侵攻、その功績により新たな恩賞として西方氏へ飯田・嶺方・千国から合計600貫文の地を宛行った(「歴代古案」12〈『上』2446〉)
この時、南からは小笠原貞慶が同地域へ侵攻してきたため、両者間で激しい攻防戦があった。

○同年11月21日、今度は小笠原貞慶が家臣の竹内縫左衛門に飯田の内から渋田見分・穂高分等の地を宛行った。(「御証文集」笠系大成附録〈『信』15‐522〉)
11月には飯田が小笠原氏の占領下となっていたことが確認できる。

★(略記号) 『戦武』(文書番号)…『戦国遺文』武田氏編、 『上』(文書番号)…『上越市史』別編上杉氏文書集一・二、 『信』(巻‐頁数)…『信濃史料』

【写真上】南東からみた飯田秋葉山城

国道148号沿いにある道の駅白馬の真正面にみえる山の尾根上が城域である。


『飯田秋葉山城縄張図』


 立地

白馬村の盆地(四ヶ庄盆地または四ヶ庄平といわれる)南西部に位置し、城域東側直下を千国道が南北に通っている。さらに飯田地籍内において長野方面へ行く道が分岐しており、両街道を監視できる場所である。
また、当城から北西方向へ尾根伝いに進むと飯田城へ行くことができる。そのほかに北方約1.4Kmには一夜山城を望み、姫川を挟んで東側には三日市場城茨山城が対置されている。


 アクセスルート


『千国街道 現地案内板』


旧千国街道

国道148号沿い、道の駅白馬の対面に大北農協神城支所がある。農協の裏側に通っている道が旧千国街道。


大糸線 線路横断部

上掲の現地案内板の所から線路へと道を登り、電車に注意して線路を横断。そこから左へ進む。


登城口にある鳥居

尾根の南側に回りこむと写真の鳥居が見える。ここから九十九折りの参道を登っていくと約10分で尾根上に出る。


 現況

@(←番号は撮影位置〈縄張図参照〉)

尾根先端部にある秋葉社・三峯社

参道を登ってくると写真の尾根先端部に出る。削平地となっているが築城した時のものか、秋葉社・三峯社を勧請した際に造成したのか不明である。

A

最初の堀切

秋葉社から尾根上を約70m進むと最初の堀切がある。写真は堀切から秋葉社方面を撮影。規模は小さい。

B

郭1・2間の堀切

土砂によってかなり埋まっているのかもしれないが、やはり規模は小さい。

C

郭1の内部

尾根上の狭い空間が約30m続いている。南側はわずかだが段差をつけて低くしており、腰郭状になっている。

D

郭1背後の二重堀切

尾根続きの部分には二重堀切が普請され、背後の守りを固めている。


南側より飯田秋葉山城全景

盆地内に突き出た尾根の平な部分が城域のため、周囲の見晴らしは良い。背後は結構急な登りとなって高度を上げていく。


 感想

尾根続き北西に位置する飯田(犬川)城との関係について、三島正之・宮坂武男両氏は、両城に関係性は無く完全に独立した城としてみている。一方、『白馬村誌』において篠崎健一郎氏は、当城は飯田城の物見の場所であり、出城とみなしている。しかし、現況で述べたように尾根続きの背後を二重堀切で遮断していることから、両城はそれぞれ独立した城として考えるべきであろう。

天文22年、武田氏が一度大日方氏に宛行った飯田の地を仁科盛康へ渡した理由は、仁科氏が同地を強く要求し、それに応じたと考えられる。おそらく仁科氏の本領だったのではなかろうか。

当時、北側に隣接する飯森は武田氏に反抗していた飯森十郎の所領であったが、弘治3年(1557)5月の時点で同氏は平倉城に籠っている。したがって、その間に仁科一族の者によって当城が急ぎ築かれた可能性もある。今後、飯田城のページでさらに検討を加えることとしたい。


 参考情報

行き方 国道148号から大北農協神城支所の裏側に回って旧千国街道に出る。尾根南側から秋葉社参道を登る。
駐車場 道の駅白馬
撮影日 2016年12月4日
更新日 2017年3月18日
参考文献 児玉幸多・坪井清足編『日本城郭大系』第8巻 長野・山梨(新人物往来社、1980年)
三島正之「長野県・白馬村の中世城郭」(『中世城郭研究』10、1996年)
宮坂武男「飯田城 秋葉山砦」(同著『信濃の山城と館』第7巻安曇・木曽編(戎光祥出版、2013年〈初出1999年〉)
「白馬の歩み」編纂委員会編『白馬の歩み(白馬村誌)』第二巻 社会環境編 上(白馬村、2000年)
参考サイト