伊豆木城

いずきじょう

《別名》 羽根ヶ城




伊豆木城は室町時代に、信濃守護小笠原氏の被官であった伊豆木氏によって築城されたと思われるが 詳細はわからない。天正10年(1582)織田信長の信濃侵攻の時に伊豆木氏は滅び、廃城と なったと考えられる。
その後、慶長5年(1600)、武田氏の時に松尾城主であった 小笠原信嶺の弟である長巨が千石を与えられて、埼玉県本庄から移封され、 伊豆木城の麓に居館を構えた。
<場所>飯田市伊豆木
<行き方>県道491号興徳寺裏
<駐車場>県道沿い小笠原資料館専用駐車場 10台
<撮影日>2005年3月
<参考書籍>『日本城郭大系』8

【上】伊豆木城南東側より  南東側麓に江戸期の小笠原氏居館の一部が残っており、 「旧小笠原家書院」として重文指定を受けている。


【左】一の郭
小笠原家書院の前を通り過ぎて、城域の西側に周り込むと尾根に向けて道がついており、 そこから登城。
尾根上にでた最初の郭で、「城郭大系」では一の郭としている。かなり広い郭で 西と南の尾根上に段郭があり、東側には堀切を挟んで二の郭、三の郭がある。

【左上】一の郭、二の郭間の堀切  堀切の規模も大きく、城域全体の大きさからすると、かなり普請に 力を入れている。
【中上】二の郭  城域のほぼ中心に位置しており一番大きい郭。北東西の三方を堀切で守られており、 ここが主郭と考えられる。
【右上】二の郭、三の郭間の堀切  三の郭の東側は尾根上に段郭がつづき、 郭南下には湧き水がある。他にも谷には湧き水が何カ所かあるようだ。


〜旧小笠原家書院〜


元は居館として多くの建物が並んでいたが、明治5年の帰農に際し、城郭建築はすべて取り払われ、 書院と玄関だけが残され、それを合体させて住居として使用された。
書院は昭和44〜45年に解体修理が行われ、住居から元の書院に復元された。 それと同時に書院は寛永初年(1624)頃完成したことが判った。書院の南側3分の1を 崖上に突出させた「懸造り」となっている珍しいもの。
地方豪族の居館で江戸初期に遡る書院遺構は全国でもこの一棟しかない。

『小笠原屋敷図』



【左上】虎口  旧城門と物見櫓の石垣が残されている。
【右上】書院南面  「清水の舞台」のような造りである。中も見学ができ、武田信玄の正室 三条夫人が京から輿入れの際使用したといわれる御輿が展示されている。



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