金子城

かねこじょう




金子城は大熊城の 北東約1qの位置にある。もとは千野氏の居館があった場所といわれる。
天正12年(1584)徳川家康の支配下に入った諏訪地方に、諏訪頼忠が入り、ここに 金子城を築いて茶臼山城から移ってきた。
しかし、数年後、豊臣秀吉による家康関東移封により、頼忠も武州奈良梨(埼玉県)に 移った。
代わって秀吉の武将日根野高吉は、文禄元年(1592) 高島城を築城。 その際に金子城を破脚し、石材を運び去った。
その為、現在遺構は残っていないが、諏訪地方における最初の平城として知られている。
<場所>諏訪市中洲
<行き方>県道16号湖南大熊信号を北へ
約800m先宮川橋を渡った付近
<駐車場>下金子公民館、永久寺駐車場借用
<撮影日>2004年8月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】金子城本丸付近  元々宮川の流れの湾曲部を利用して、三方を堀にし、 残りの一方に水路をめぐらせて造られた城であったが、宮川の流れを直線にしたため、 現在、本丸部分の真ん中を宮川が通っている。
写真は城域東端(大手口)の城道(きみいち)橋から西方向を撮影したもの。写真左岸の奥が本丸付近、 右岸はきみいち保育園で「桜畑(桜の馬場跡)」という地名が残る。


【左上】城道橋より城内方面  十字路を左に入った所が大手門跡、右に曲がって100m程の 所が八幡社。
【中上】大手門跡付近  道の左側が「桜畑」、右側が「土井畑」という地名が残る。
【右上】本丸御門付近  本丸手前に堀があったようだが、形跡は見あたらない。 ここを左に曲がった宮川の土手沿いに金子城案内板がある。

【左上】宮川橋より東側本丸方面  この部分が改修された流れの部分で直線になっている。 天明年間(1781〜88)に改修されたという。
【中上】金子八幡社  天正12年、金子城築城の際、諏訪頼忠が鬼門除け守護神として 勧請した鎮守。ここが城域の北東隅ということになる。現在の社殿は平成8年に建てられた。
【右上】八幡社より城内方面  耕作地、住宅がひろがっている。

【左上】薬師堂より城内方面  薬師堂は下金子公民館脇にあり、この付近が城域北端と 思われる。
【右上】本丸より大熊城方面  斜面の中腹にあり、千野氏の居城であった城。



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