神之峰城

かんのみねじょう




神之峰城は諏訪大社大祝である諏訪氏の分流といわれる知久氏の居城である。
知久氏は鎌倉時代初期には現在の上伊那郡箕輪町にあったが、承久の乱(1221)の後、 知久平へ居館を移した。戦国時代の初めに山城である神之峰城を築いたと思われる。
天文23年(1554)知久頼元、頼康父子は、それまで武田氏に従属していたが、 前年の第一回川中島の戦いに呼応するかのように、神之峰城に立て籠もり反旗を翻した。 同年7月、武田信玄は知久父子等を捕らえ、甲斐へ護送。河口湖の湖上に浮かぶ 鵜之島に 流刑となり、翌年5月湖畔の船津浜で全員斬首されたという。
難を逃れた頼康の弟、頼氏は江戸期には三千石を与えられ、下伊那郡喬木村に陣屋を設け、旗本として明治維新まで 存続した。
【上】神之峰城北側より  天竜川から東へ約3q山の中に入った神之峰頂上付近一帯に郭が広がる。 現在、電波塔が数本建っており、一部破壊されている。
<場所>飯田市上久堅
<行き方>国道256号より県道83号泰阜方面へ
ENEOSスタンド過ぎた所を右折し、長谷部アジア館方面へ
<駐車場>久堅神社前 5台
<撮影日>2005年3月
<参考文献>『日本城郭大系』8、『武田信玄のすべて』

『神之峰城要図』



【左上】本丸  東半分は電波塔施設となってしまっている。車道も 直下まで来ているので、この周辺はある程度の改変はされているであろう。
【中上】二の丸  主郭から南東方向に延びる尾根上にあり、主郭との間に大規模な堀切がある。
【右上】本丸下より出丸  本丸南下から出丸、南小屋が腰郭となっているが、電波塔建設時に整地拡大された可能性もあるのでは。


【左】南小屋
出丸の南側の腰郭で本丸南側から連続している。ここにも電波塔がある。 城域西面の南小屋、出丸からは天竜川方面の眺望がすごい。
小笠原氏の居城だった松尾城鈴岡城はもちろん、 飯田城のある市街地など主要な地域が一望できる。

【左下】松尾城、鈴岡城方面
【右下】飯田市街方面



現在城域の東側は旅館などの建物によって、旧状はわからない部分が多いが、「北小屋」や「蔵屋敷」 などの地名が残っており、大手はこの付近と考えられている。



城館探訪〜長野県〜へ戻る