唐沢城

からさわじょう

《別名》 新井城




『町誌』によると鎌倉時代、飯島氏一族の石曽根、田切の有力者が唐沢城の前身の施設を造り、戦国期に唐沢氏が 整備して居館を置いたといわれる。
唐沢氏は上杉定実の家臣で、天文3年(1534)西箕輪中条の領主唐沢昌綱の子、義景がここに移り、 武田氏の伊那侵攻まで22年間在城していた。
その後、武田氏家臣の小泉氏が入り、織田氏の伊那侵攻の時には 高遠城で、小泉五郎左衛門、新左衛門 父子が討死したという。
<場所>上伊那郡飯島町田切
<行き方>県道200号飯島駅より東へ約1150m北へ
250m二つ目十字路を右へ100m
Y字路を右へ 突き当たり付近
<駐車場>路駐
<撮影日>2005年5月
<参考文献>『日本城郭大系』8、『飯島町誌』中巻

【上】唐沢城 南側より  天竜川東岸の日曽利集落からの唐沢城。直下に天竜川が流れ、北側は 郷沢川、南側は唐沢洞の断崖となる。西側が段丘上平地とつながっている。

【左上】二の郭付近より主郭方面  現在は耕地拡張整備によって、遺構はほとんど消滅してしまって いる。二の郭は昭和50年に圃場整理に伴う発掘調査が行われた。天竜川対岸の山々が見える。
【中上】二の郭西側空堀跡  東側突端部に主郭、西側に二の郭、南郭、三の郭があったようで、 郭間には空堀が巡らされていたようである。
【右上】主郭土塁  ほんのわずか、北側に土塁の一部が残っている。最先端部には 唐沢城の石碑が立つ。


【左】主郭より天竜川
天竜川西岸沿いに南へ約3qの所には飯島城、 北へ約4.5qの所には赤須城がある。
  


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