春日城

かすがじょう




春日城については天文3年(1534)、平家の末流、粟田口民部重吉の16代の後裔伊那部大和守重慶 が築城したといわれている。大和守の本姓は春日氏という為、春日城と呼ぶようになった。
重慶を相続した但馬守重成は次男の重国を分家させ、伊那市内の東春近に殿島城を築城、殿島大和守 を名乗った。
信玄が伊那地方に侵攻し、福与城を攻撃すると下、中伊那の援軍が春日城に入り、福与城を支援したが、 福与城の藤沢頼親が和睦すると、伊那の諸衆は軍備を解き、信玄の支配下に入った。
そして春日城は高遠城の支城として機能したと思われる。
天正10年、織田軍が信濃に侵攻を開始し、高遠城を落城させた同時期に春日城も焼き払われ廃城と なった。

左  春日城主郭からの伊那市街の風景


<場所>伊那市伊那
<行き方>国道153号西町信号を西へ
県道148号を渡って100m先右折
春日公園、県文化会館方面へ
<駐車場>公園駐車場20台
<撮影日>2003年12月
<参考文献>『日本城郭大系』8


左 三の郭  現在は公園化され、さらに電波塔が建っている為、遺構は残っていないようである。

左 二の郭と三の郭の間にある堀  堀の規模は大きく上幅8mはある。堀の両サイド南側は「うぐいす洞」 に落ち込み、北側は田切り地形へと落ち込んでいる。
上 二の郭  天竜川の段丘上、主郭をエル字型に囲んでいる。東側は段丘の崖になり、西側は堀を隔て 三の郭になる。


左上 二の郭と主郭の間にある堀  主郭の北、西側はこの堀で二の郭から独立しており、東側は段丘 の崖、南側は「うぐいす洞」と呼ばれる深く段丘に食い込んだ谷となっている。
右上 主郭  30m四方の正方形で東側からは伊那市街を一望でき、遠くに南アルプスが望める。

左上 二の郭北側の谷  現在は道が通っており、駐車場もこの道に面してある。
右上 「尾花ヶ崎」  赤い屋根の建物がある所が「尾花ヶ崎」と呼ばれており、北から南へ細長い 半島状に突き出しており、虎口の防御に有効な地形である。


左 公園駐車場脇に見える堀跡か  ちょうど三の郭下の北側に確認できる。元々三の郭の西側は 段丘上の平地に繋がっている為、空堀があったと思われるが、その一部であろうか。



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