霞城

かすみじょう




霞城の築城年代については不明で、武田氏時代以前のことはわかっていない。
城主は大室氏で文献に現れるのは天正10年(1582)に 海津城に入った織田方の 森長可から知行を安堵された事で、その後、北信に侵攻してきた上杉景勝に属した。
景勝の会津移封後は大室氏も同地へと移って行った。
<場所>長野市松代町大室
<行き方>国道403号大室入口信号入る
長野電鉄大室駅手前を右折し
約500m(大室古墳群方面へ)
上信越自動車道をくぐる手前を右折し突き当たり
<駐車場>突き当たりに駐車スペース2台
<撮影日>2004年7月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】大室古墳群入口より霞城  高速道のトンネル(大室トンネル)右上の尾根が 霞城。千曲川に向かって突き出た半島状尾根の先端部にある。

【左上】城域の中にある古墳  霞城は国指定史跡大室古墳群の中にあり、城域の中にも南側に 2ヶ所ほど古墳がある。日本最大の積石塚の古墳で石垣を思わせるようなものや、立派な石室を 持った物などが約500基あるという。そのような石が豊富に有るためなのか、郭の縁はほとんどが 石積みで造られている。写真下の部分の石積みは霞城のものと思われる。
【中上】城域南側の石積み  頂上部が主郭でその尾根続き側の南側には急な斜面に狭い間隔(階段状) に郭が形成されており、縁には50p〜1m程の石積みが続いている。南斜面から西側にかけて郭が 回り込んでおり、西側は幾分広くなる。
【右上】主郭  約15分程で主郭へたどり着く。広さは南北の尾根筋方向に約30m、東西に20m 程。周りは石積みで造られ、東側に虎口がある。

【左上・右上】主郭北西下石垣  この部分が城内最大の石垣で、高さ2.5m程。折れをともなって 西側一帯の帯郭を囲んでいる。ただ西側へいくと高さは低くなる。主郭を中心に帯郭が北西から西側、南側に かけて石積みを付けて取り囲み、まるで近代城郭を見ているような感じだ。

【左上】西側石垣  高さは1m以下だが上の最大の石垣から南側尾根まで続いており、 総延長は100m近いだろう。
【右上】西側 折れの部分  主郭付近の縄張りはかなり精緻で機能的にできており、はたして 小豪族である大室氏独自によるものなのか疑問になる。森氏もしくは上杉氏が関与したのでは・・・

【左上・右上】西側最下部の帯郭とその石積み  これより下は急崖となっており、尾根続きの南側 以外は人を寄せ付けない。

【左上・右上】北側先端部とそこからの眺め  主郭より北側の尾根先端部方面はわずかの段差により 郭が別れているが、不思議な事にこの部分には石垣がまったく見あたらない。
おそらくこの部分が霞城のもっとも古い形態を残しているのだろう。周りは断崖の為、 普請をする必要は無いとみたのか。
長野市街方面の見晴らしが利き、手前は千曲川が流れる。川中島も近く、 八幡原の古戦場は写真のもっと左方向になる。

【左上】霞城全景  高速道下からの眺め。この道の行き止まり部分が広くなっており、そこに 車を停めて、畑の先に続く道を登っていく。幅2m程の平らな道が九十九折りにあるのだが、 草花が延びており、手入れはされていない。尾根に出たら右方向の頂上目指して行く。
表示は古墳の所に小さな板があるだけで、霞城については何も無い。これだけのスゴイ石垣を持って いる山城は滅多に無いのに、もったいない気がする。
今の季節は藪もひどいので、また冬に是非訪れたい城である。石垣の全貌を探りたい。
【右上】大室古墳  高速道をくぐって少し行った所からは大室古墳群。このような石垣を ともなった大規模な古墳があちこちに広がる。
現在も調査が続行中のようで、シートがかぶせてあるものもある。



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