葛尾城・姫城

かつらおじょう・ひめじょう





葛尾城は村上氏の歴代の本城である。村上氏がここに住み着いた時期については様々な説があるが、 南北朝時代の末頃が有力な説。それ以降守護の小笠原氏と争いがあったが村上氏が室町幕府に服従し収まった。
しかし嘉吉元年(1441)将軍足利義教が殺され、翌年守護の小笠原正透が死ぬと信濃国内はまた騒然と なった。その混乱に乗じて自領の拡大をしていった村上政清、義清の時代は北信で最大の勢力となった。
武田信玄の時代になると義清と互いに激しい戦いが繰り広げられるが、天文22年(1553)落城し長尾景虎を 頼って越後へ落ちのびた。その後戦術の変化により城としての利用価値が減少し、廃城になったものと 思われる。
【左】荒砥城より葛尾城の眺め  千曲川に向かって突き出た尾根上に城域がある。

<場所>埴科郡坂城町坂城
<行き方>上田方面より国道18号坂城信号を右折
県道339号を左折し直進500m 坂城神社裏より登山道
<駐車場>坂城神社正面左手に4台
<撮影日>2003年10月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【左】葛尾城縄張り図  【上】葛尾城主郭 南北に延びる尾根上に郭が配されている。その中央、最も高い 所、葛尾山頂が主郭になる。北側に土塁が残る。

【左上】主郭北側の切岸  6m程の高さがありこの先北側には細長い郭、堀切が続く。 堀切は深いもので10m程のものがある。
【右上】主郭南側三の郭より二の郭、10mの切岸上が主郭  南側は段郭が続いており尾根の南端には出城にあたる姫城 がある。そして断崖となり千曲川がすぐ下を流れる。

葛尾城最北部にあたる部分にある石積み  主郭から200m程行った所にあり、土橋状になっていて 脇に降りて見ると右上の写真のように平板状の石が積まれているのがわかる。
どのような意図があるのかは不明。またこの先100m程に電話ボックスがありその中に縄張り図が 持ち帰り用に入っているので、下調べができていない人はまずそこへ!

【左上】主郭より西へ下りてきた平坦地「大段」 ここは根小屋だったという説がある。
所々に石積みが見られるがこれは後の耕作地跡の可能性もある。江戸時代末期に養蚕景気でここら辺は 開墾され桑園があったという。二の郭西側から戸倉町(千曲市)磯部に下りる道があり、最初の急斜面を下りた所の 左側(南側)に平坦地が段郭状になっている。
【右上】戸倉町(千曲市)磯部と葛尾城主郭をつなぐ道  最初と最後が急な道であるが途中はなだらかで直線の道が続き、 段郭が数百メートルにわたり見られる。

【左上】磯部へ下りる途中に見た石積み  小さい石が山のように積まれていた。これは諏訪の干沢城で 見た攻撃用の石積みと同様のものか。
【右上】磯部方面の最初の堀切  下から登ってくるとここから城域に入ると確認できる、上幅3m程の 堀切。

【左上】国道18号から見た磯部〜主郭をつなぐ尾根  道の南側は断崖となっている。
【右上】坂城神社裏手から見た坂城市街  村上氏館もこちら側、神社から100m程。

主郭より東側の眺め  千曲川の流れ、孤落城、三水城、和合城など村上氏の支城、遠くには 上田原、蓼科山が見られる絶景。40分急な道を登ってきた甲斐がある。

〜姫城〜

【左上】主郭北側の切岸 葛尾城主郭より南へ約800m。 矢場佐間山の山頂が姫城主郭。
葛尾城の出城にあたる。
【右上】姫城主郭  主郭の前後は堀切があり、北側は郭がいくつか続く。姫城は葛尾城とは構築様式が異なり、築城時期はやや遅い時期だと見られている。 姫城という名は後世名付けられたものである。

【左上】主郭より南側堀切と郭  この先は断崖になり千曲川が流れる 現在はその間に国道が走っている。
【右上】主郭北側 尾根の西側にある段郭  西側にはいくつもの段郭が確認できる。

〜葛尾城、姫城への道〜
葛尾城、姫城への道は3本あり、その道を紹介します。

一番わかりやすい道は坂城神社の裏手(写真左上)から200m程登った所に分かれ道があり 案内板が立ってます。(写真右上) 遊歩道近道の方、右へ登ればあとは一直線 約40分で 葛尾城主郭へ直行です。

遊歩道を近道に行かずにまっすぐに行くと轍のある広めの道を数百メートル進みます。
道が狭まってきたら右側に注意。 鋭角に右後ろへ登る道があります。まっすぐにも道がありますが ここを行くと岩場に出てしまいます。分かれ目(写真左上)に小さめの黄色い案内板があります。
山道を登っていくと写真中上のような印象的な尾根にでます。ここはこの尾根を渡りさらに登っていきます。 この尾根に出たところに姫城の看板がありますが、分かれ道までの距離を表しているだけなので、 そっちへ間違えて入ってしまうと、また岩場に行っちゃいます。
写真の上部中央の高い所に出て、そこを尾根上に左へ行くと姫城、右に行くと葛尾城。
写真右上 その別れ道 三叉路  左に尾根を下ると姫城、右に尾根を登っていくと葛尾城。
この三叉路まで約30分、ここから姫城まで10分、葛尾城主郭まで10分。 近道とそれほど時間は 変わりませんでした。

もうひとつの西側戸倉町(千曲市)磯部からの道  国道18号坂城町より千曲市に入ってすぐ右折 踏切を渡ると写真左上の所に出ます。ここを右に入ると小屋の裏側が登山道入り口(写真右上)
こちらには駐車スペース無し 「笄(こうがい)の渡し」の公園へ車を停めてここまで歩いても 10分程なのでこちらから登る人はそれがおすすめ。この入り口から葛尾城まで約40分。 磯部入り口から笄の渡し経由坂城神社まで徒歩30分。

〜笄(こうがい)の渡し〜     

国道18号坂城町と千曲市の境、姫城の下にある千曲川の渡し場があったところ。
現在公園となっており駐車場あり 5台
信玄がここ葛尾城を落城させた時、村上義清の夫人達は城からここまで逃げてきた。この川を渡り 対岸の荒砥城へ落ち延びようとして船頭にわけを話したところ、快く引き受けてくれて無事対岸へ 渡れた。夫人は我が身の危険を省みずに船を出してくれた船頭に心打たれ、お礼として髪にさしていた 笄を手渡した。 村人たちは義清夫人を偲んで、この渡しを「笄の渡し」と呼ぶようになった。〜現地案内板より〜



城館探訪〜長野県〜へ戻る