北畑館

きたばたやかた




北畑館、そして清川上流200mにある静間館と、 両館がある静間の地は平安時代末期に、 静間氏がこの地に居館を構えたといわれる。静間氏は相当に勢力を持っていた豪族だが、 平治の乱(1159)の後、平氏の勢力下に入ったと考えられている。 その後、木曽義仲との戦いで敗れ、郷土を 追われる身となり、歴史上から消えることになったようである。
北畑館については室町時代頃には存在していたと思われるが、詳細はわかっていない。
天文21年(1552)の時点では高梨政頼の勢力がこの付近にも及んでいた。
武田信玄の信濃侵攻によって、高梨氏は 中野の館を退去し、 弘治年間(1555〜58)の頃、 飯山城に入ったが、 それにより静間の地は飯山城の前線と化していた。北畑館も 守備として利用された可能性もある。
【上】館の南側より  館は清川の断崖を背に堀と土塁で馬蹄形に防御をしていた。
現在は宅地化が進み、遺構はほとんど見られない。 館の南側、清川の対岸より見ると、館跡の部分が少し高台になっているのがわかる。 写真の赤い屋根の家が建っている付近。田んぼと樹木との間に清川が流れる。


<場所>飯山市静間
<行き方>国道117号北畑信号を南西へ
約500m先 清川の手前を右折し
100m程行った周辺
<駐車場>無し 200m南西方向、静間神社駐車場約10台
<撮影日>2004年8月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【左】館の西側より  静間館から清川を渡った付近から見た北畑館南端部で、 高台から樹木の所で清川の断崖になっている。

【左上】内堀跡北側付近  昭和52年頃、水道管敷設工事中に堀跡が確認され、館の配置を推定する事が できた。発見された堀は水堀で、深さ約2m、箱堀の形状を呈していたという。 現在はまったく遺構は見られず、この付近と思われる所を撮影。ちょうど上写真、赤い屋根の家 の北側にあたる。
【中上】内堀跡西側付近  家と家との間になるが、ここもそれらしい痕跡は見あたらない。
【右上】館東側外堀跡か  内堀東端部から東へ20m程下ってくると、この断面が清川から 続いている。ここが外堀跡の一部と思われる。


北畑館は規模が大きい為、静間氏の居館と考える説もある。そして、すぐ近くにある 静間館との関係など、まだ疑問点が多く残されている。



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