北真志野城

きたまじのじょう

《別名》 権現沢城・本城




北真志野城に関する直接的な史料は無く、伝承では真志野(胡桃沢)氏が城主と伝えられ、 「諏訪神氏系図」によれば金子民部の居城という。
胡桃沢氏は応永7年(1400)の大塔合戦について書かれた『大塔物語』に、諏訪勢の大将有賀氏 とその有力武将として登場するが、それ以後、胡桃沢氏は史料上に現れなくなる。

【左】北東側より北真志野城
北真志野集落、蓼宮社の背後の台地が「本城」とよばれる。現在、中央道が この台地先端部を通っており、だいぶ破壊されてしまった。
裏山は通称「火とぼし山」で、ここにも烽火台等の施設があったと思われる。
<場所>諏訪市湖南
<行き方>県道16号湖南郵便局の北側を西へ入り、蓼宮社、西山公園へ
徒歩で蓼宮社背後の中央道、本城橋を渡って左側
<駐車場>西山公園 10台以上
<撮影日>2006年2月
<参考文献>『日本城郭大系』8、 『諏訪市史』上巻 原始・古代・中世 1995年


【左上】城域中心部と諏訪湖、諏訪市街方面  尾根の先端が広大な平坦地となっており、 この部分が城域中心部と思われる。先端部には中央道が横断しており、かなり地形は変わっているであろう。 現在残っている部分は耕作地となっている。
【右上】上原城方面  向こう側の山地には 上原城桑原城が位置する。さらに奥の山は八ヶ岳。

【左上】平坦地背後  耕作地がやや奥まで続いているが、どの辺までが城域なのか確定できない。 現在の状況から考えると、あまり要害の地ではない。
【中上】平坦地の北側面  現在は耕作地であるが、帯郭の跡を利用したものではないだろうか。 北側下には中ノ沢川が流れており、南面よりかは幾分急斜面となっている。
また、蓼宮社上部はマレットゴルフ場になっているが、ここも郭状になっている。
【右上】胡桃沢神社  城域北西下の胡桃沢神社付近に真志野屋敷があったという。『諏訪市史』では ここを居館として、周辺の北真志野集落が根小屋だったとしている。


〜感想〜
有賀城から500m程の近距離にあり、 『大系』では「有賀城の支城かと考えられる」としているが、 城の形態がかなり違っている。
『諏訪市史』では「真志野屋敷址があり、集落もかなり発達していたと思われ、独立した武力集団 を形成し築城されたと思われる」としている。さらに「北真志野城から 南真志野城へと 移城が行われたと思われる」として、古い形態の城と考えている。確かに南真志野城は 防御意識も高く、まったく別物である。
詳しくは調べていないが中央道造成時の発掘調査で、中世住居跡、青磁片が出土しているようなので、 集落領主がここに城を築いた可能性は高い。しかし、15世紀後半の諏訪氏内訌の時には、 真志野氏は登場せず、真志野氏の衰退と共に、北真志野城も廃城となったのではないか。


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