北の城・下の城

きたのじょう・しものじょう




北の城、下の城は天竜川西岸段丘上に隣接している城である。
両城とも中世この地の地頭職であった中越氏に関わる城と伝えられ、北の城内からは室町期の陶器が発見されている。
中越氏の文献上の初見は天徳元年(1329)3月、諏訪大社上社五月会御射山等の頭役の結番を 定めた鎌倉幕府の下知状である。
次に応永7年(1400)の大塔合戦に春近人々の一員として、中越備中守が出陣している ことが『大塔軍記』等に見える。
その後文献上からは消えているが、永禄4年(1561)近郷の小身衆と共に武田信玄に服従していた ことがわかる。
<場所>上伊那郡宮田村中越
<行き方>国道153号宮田村役場入り口信号東へ
道なりに約1.5q 北の城橋手前
<駐車場>6台
<撮影日>2005年7月
<参考文献>『宮田村誌』上巻 1982年

【上】天竜川対岸より  北の城の北辺の断崖が写真左側である。北側の視界はひらけているが、 東側の対岸は山が聳え、大手口のある西側や、下の城がある南側は緩やかな上りになっており、 見通しが利かない。

『北の城要図』


〜北の城〜


【左上】主郭  現在は公園化されているが、土塁は舗装道が横断している部分を除けば、良好に 残っている。
【中上】虎口  空堀を渡って西郭へと通じている。西郭は耕作地となっており、遺構は見あたらない。
【右上】主郭西側空堀  空堀北側は段丘下の沢へとそのまま下りられるようである。


【左】南側土塁と空堀
西側から続く堀の南側は自然の谷を利用した堀となるが、現在公園として整地されている。
また、堀の南側は耕作地であるが、ここにも「南郭」があったといわれる。


〜下の城〜


【左上】大沢川  天竜川に注ぐこの沢が北の城と下の城とを区分けする自然の堀となっている。
北の城南東隅から遊歩道が天竜川に沿って南下しており、そこから約5分で下の城。
【中上】主郭北側切岸  約3mの高さがある。主郭北側下は「北郭」と称される。
【右上】虎口  北の城と同じように土塁が西、南、北側と囲んでおり、西側中央に虎口が開く。 虎口部分に下の城の表示杭が立っている。
外側に空堀が確認できるが、だいぶ埋まってしまっているようだ。内部は林となっている。
また、主郭南側はほとんど同じ高さで「南郭」があるようだが、区域は判別しがたい。


〜感想〜
北の城、下の城についての詳細は不明で、同時期に造られたのか、どのような城だったのかなど謎は多い。
両城は何のための施設なのか。ここから西側の中越集落には中越館がまた別に存在する。
北の城に関しては北側天竜川上流への見通しが利き、空堀を通って下部にも通じている為、 見張り台を兼ねた、水運との関連性があるのではないか。
下の城は西側の中越集落側がひらけており、北の城と連動している館とも考えられる。



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