小岩嶽城

こいわたけじょう




小岩嶽城は戦国時代に北安曇地方に勢力を張っていた仁科氏の南方面の拠点であった。
天文20年(1551)武田信玄の軍勢に攻められ、放火された。翌年には城主古厩氏は自害し落城、 壮絶な戦いがあった。
天正11年(1583)安曇、筑摩両郡の旧領回復を目指す小笠原貞慶が小岩嶽城に攻撃をかけ 焼き払ったため、同城は以後廃城となった。
<場所>安曇野市穂高有明
<行き方>穂高駅より県道308号を西へ
ジャンセン塚原美術館を過ぎ、右折して約700m先
案内板を左折
<駐車場>6台
<撮影日>2004年5月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】模擬城門  駐車場に建てられている。主郭へ行くには右側を回って、約5分砂利道を歩く。 門の背後が三の郭となる。


【左上】縄張り  主な郭は北と南の尾根に挟まれた麓にあり、その前面東側に家臣団の居住地が あり、町割りもなされていた。背後の峰に物見らしき郭も見られる。これを見ると中世前期の 館の形式を色濃く残している感じで、防御的な思想があまり感じられない。
【右上】主郭入り口と主郭内部  車道を通す為に土塁が破壊されているようである。現在主郭内部には 神社、東屋などがあり、公園化されている。

【左上】主郭下切岸  手前には堀跡も確認できる。
【中上・右上】主郭上段(北側)の小郭  自然の大岩を利用して石塁、切岸の代わりをさせている ようだ。

【左】城域南側の空堀  かなり大規模な堀があり、さらに上に行くと矢竹?が自生しており、 深い竹藪となっている中に段郭、湧き水などが確認できる。
【上】三の郭下の切岸  左の堀を東に下ると三の郭の下に出てくる。この付近はだいぶ遺構が 破壊されているようだが、切岸はまだ確認できる。

【左上・右上】主郭背後の峰にある物見台跡  2段になっているがほとんど高低差はない。
主郭からさらに尾根を目指して登っていくと途中で道が消え、ひたすら尾根を上に目指して登る。 途中岩場などがあり、多少危険を感じた。物見台に至るまで約20分。途中には遺構らしいものは見あたらなかった。
尾根を削平した所で細長い形状。

【左】物見台端にある堀切  岩場の手前にわずかに確認できる。
【上】物見台からの東側景色  安曇野が一望できる。
駐車場にある縄張り図には搦め手道が書いてあるが発見できなかった為、帰りも道無き山を 下ってくることになってしまった。

【左】模擬櫓  駐車場から主郭へ行く道とは門を挟んで反対側の道を登っていくと、10分弱でここにこれる。 この道の右側に城域南側の大規模な空堀が平行してはしっている。
【上】櫓からの東側景色  ここなら手軽に一望できる。



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