駒形城

こまがたじょう




駒形城は別名茅野城ともいわれ、平安時代末期諏訪氏の支族である千野太夫光親の居城であったと いう説がある。
また、後三年の役に参戦した諏訪大祝である神太為仲(じんたためなか)は、父為信の 止めるのも聞かずに上洛を企てた。そして、美濃国筵田庄芝原で双六の賽のことで、新羅三郎義光 と争い自害。その経験を生かして参戦直後に為信が茅野城、御天城(詰め城)、 などを築城し、茅野敦実に守らせた という文献(諏訪大明神画詞縁起第四)もある。
諏訪大社上社大祝諏訪氏の居城である干沢城の南東約2qにあり、 諏訪平南側の入り口に位置する重要な場所である。
<場所>茅野市宮川西茅野
<行き方>中央道茅野バス停より側道を東へ約200m
西茅野入り口信号を宮川方向へ
宮川を渡り約300m先を右折 約200m先左側
<駐車場>無し 路駐
<撮影日>2004年4月
<参考文献>茅野市編『茅野市史』中巻 中世・近世
1987年

【上】駒形城北側  結構奥まった所にあるのだが、古来から宮川の氾濫があった 為、この位置になったのであろう。諏訪氏の居館であった諏訪大社前宮まで続く鎌倉街道も 宮川西岸の少し高い所を通っていたらしく、駒形城下あたりを通って鎌倉へとつながっていたのかも しれない。
西茅野集落に駒形神社があり、そこから山に入った所にあるので駒形城の名が ついたのか。長い石段が目印となる。

【左】駒形城入り口  石段を登り詰めると当時の虎口らしきものがある。
【上】麓からの東側の眺め  比高は約40m程度だが茅野市街を見渡す事ができる。 写真中央奥の円錐形の山が蓼科山。

【左】主郭にある祠  階段を上り詰め、まず目につくのがこの祠群。その中には 立派な御柱が建っているものもある。 諏訪地方の神社には小さい祠にまで、ちゃんと御柱が四方に建っている。
【上】主郭より尾根方面  尾根先端部に主郭があり、その奥に郭らしき削平された形跡は あるが、林の中に埋没している。その境に堀切らしい形跡がある。

【左上】尾根側より主郭  直径約20mのほぼ円形をしている。
【右上】主郭西側下  写真ではわかりづらいが3段の腰郭がついており、下は北側から回り込んだ 谷となる。

【左上】二の郭か  主郭から尾根側に二の郭と思われる小さい削平地があり、 その先50m程の所に広い平場がある。しかし当時のものかわからず、堀切の存在も確認できず、 城域がどこまでか判別できなかった。
背後の防御が薄いのは諏訪氏系の山城の特徴なのだが、居館としての位置づけという感じがする。
【右上】山奥に続く尾根道  この道を登っていくと謎の多い 御天城につながっているという古道がある。 私もチャレンジしてみたが道無き道を進むことになり、途中で林道坂室線に出て、古道を見つけることは できなかった。



城館探訪〜長野県〜へ戻る