小屋城

こやじょう



別名村井城ともいうこの城(城というより居館)は村井氏によって造られた。村井氏は官牧埴原牧の牧人埴原氏の系統といわれる。 勢力の拡大と共に牧場地帯から松本平南部の平坦地、村井に居館を建て村井氏と称した。埴原城を 要害城として築いた最初の豪族であろう。
村井氏はこの館を中心に現在の松本市中山、内田、寿、芳川、塩尻市広丘、片丘にわたる一帯に 勢力を張っていたといわれる。
天文17年(1548)武田信玄が筑摩郡に侵攻を始め、小笠原氏の配下になった村井氏は小笠原長時が 塩尻峠の合戦で 信玄に敗れるとともに滅亡した。信玄はただちにここを府中攻略の前進拠点として 改築し、天文19年に本格的な侵攻を開始した。
7月10日村井城に到着、13日近隣の 熊井城を攻め落とし、15日にはイヌイの城 (埴原城といわれる) を攻め落としたが、小笠原氏の本城である林城や深志城 (後の松本城)などは自落してしまった。
信玄は19日村井城から深志城に移り、改築に取りかかり侵攻拠点をそちらへ移した。
それによって村井城は役目を終え、安曇侵攻の中継基地となった。



<場所>松本市芳川小屋
<行き方>国道19号村井信号を村井駅方面へ
そのまま県道48号を踏切を越え約300m
都波岐神社の交差点を右折 泉龍寺の先50m
<駐車場>泉龍寺の駐車場6台
<撮影日>2003年12月
<参考文献>『日本城郭大系』8


【左上】城跡付近の風景  新しい住宅、アパートが建ち並び、遺構らしいものは見あたらない。ただ、案内板が 泉龍寺の先50mの交差点に立っていて、それと判るだけである。
【中上】案内板の所から東側の風景  向こうに見える山地が筑摩山系の山。少し左側の方向に埴原城がある。ここからは 建物で見えない。直線で約5q程。
【右上】用水路  居館の周りに巡っていた水路の痕跡か。案内板の付近に数本の用水路が走っている。

【左上】泉龍寺山門  小屋城跡のすぐ近くに建つ。
【中上、右上】都波岐神社  杉並木が100mくらい続く。泉龍寺の南側に位置する。小屋城との関係は 無さそうだ。


【左】小屋城西側  西には奈良井川が流れ、そのはるか向こうに穂高の山々が見渡せる。



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