熊井城

くまいじょう

《別名》 北熊井城




松本平に勢力を持っていた信濃守護小笠原氏が南の備えとして築城。
天文19年(1550)武田信玄が本格的に松本平に侵攻し、7月10日 村井城(小屋城)に到着すると、13日には この熊井城を攻め落とし、15日には イヌイの城(埴原城といわれる)を攻め落とした。
それを見て小笠原氏は逃亡、本城の 林城深志城(松本城) などは自落してしまった。別名北熊井城。
<場所>塩尻市片丘
<行き方>国道20号桟敷信号北へ約2q
長野道の下をくぐったらすぐ右折
十字路で左手の川を渡って右折 約800m右側
<駐車場>無し 路駐
<撮影日>2004年6月
<参考文献>『塩尻市誌』第二巻歴史 1995年

【上】城域北側  松本平へ突き出た段丘先端に位置する。しかし段丘先端部とその下との高低差があまり無い為、 主郭は城域中心部にある。写真中央の林になっている部分が主郭
半島状の段丘先端部を掘り切って城域にしたものは松本地方には珍しい縄張りである。

【左上】主郭西側の堀切  東西に6以上の郭が並んでいたと思われ、各郭は独立性が高く、大規模な 堀切で区切られている。特に主郭西側の堀切は現在車が通れる程の大きさがあり、城内最大の規模を 誇る。
【右上】主郭  南西隅にある虎口には桝形の跡がうかがえる。上に登ると西半分は耕作地、東半分は 藪となっている。

【左上】主郭南側空堀  城域北面には沢があり、南側にはこの空堀が通っている。これによって 周囲は防御されていた。この空堀も規模は大きく、見どころの一つである。
【中上】二の郭  大堀切を挟んで主郭の西側に位置する。
【右上】二の郭南側空堀  こちらは車道になっており、城域西端の郭までつながっている。
この堀の外側には沢が平行して流れ、二重の堀と同じ状態である。

【左上】二の郭西側堀切  規模は小さくなっていくが、しっかり掘り切られている。
【中上】西端の郭  山側になる東が標高が高く、西に来るに従って低くなっている。ここが一番 低い所である。現在は人の手が入っており、南側の堀から車が ここまで入ってこれるようになっているので多少変わっているかもしれない。
【右上】城域西端部  用水路が流れているが、堀は確認できない。耕作地が堀跡だろうか。 比高もほとんど変わらない地形であるので、何か防御施設があったと思われる。

【左上】西側の眺め  城域の西側下に侍屋敷、城下町が形成されていたという。
【中上】主郭東側の郭(三の郭)  三の郭は耕作地になってしまっているが、ほぼ郭の形をとどめている ようだ。堀切の部分が道になっている。奥の林が主郭となり、間の堀切も確認できる。
【右上】城域東方面  さらに東側は耕作地が続いているが、東山山麓広域農道あたりまでは城域 であったと思われる。堀切の形跡がわずかに二カ所確認でき、主郭東側に3つまたはそれ以上のかなり 大きい郭があったであろう。
  


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