久米ヶ城
 くめがじょう

《別名》 城山  飯田市久米



久米ヶ城は貞和年間(1345〜50)に松尾城主小笠原貞宗の弟、貞長によって築城された。 以降九代およそ200年間、戦国時代中期まで続いていた。
しかし小笠原氏一族の争いにより松尾城 と共に落城したと伝えられている。〔現地解説板より〕

【左】飯田城からの眺め  飯田城から約7q南西に位置する 標高約733mの独立した山で、山頂から四方の尾根に郭を配置している。
周囲一帯を見渡せる絶景ポイント。
南東の遠州街道方向に下っていくと伊豆木城がある。

『久米ヶ城縄張図』



【左上】主郭東側  主郭を東西に分けるように中央部には土塁があり、西側は駐車場、東側は公園となっており 展望台が建っている。
【中上】展望台より土塁部分  現在神社がある。主郭は公園化のため、そこから南尾根上に続く二の郭、三の郭 部分には建築物があるため、遺構の保存状態は良くない。しかし周辺部にはまだ元の状態で残っている部分もある。
【右上】主郭北側堀切  北側に連続堀切があり、規模も大きい。その先に蔵屋敷と呼ばれる郭があり、焦米が多く 出るという。

【左上】飯田城方面  北東約7qに位置する。
【右上】松尾城鈴岡城方面   約5q先で飯田城よりもやや東より。場所は確認できなかったが、写真中央 やや左付近と思われる。丘陵地背後の低地には天竜川が流れる。天竜川対岸の東側には 神之峰城がある。


【左上】駒場城方面  南西約5qに位置する。
【中上】三の郭下より鍛冶ヶ城方面  鍛冶ヶ城と呼ばれる郭群はは三の郭から南東に伸びる尾根に位置する。
写真では道の右側が三の郭の切岸で、奥の左側が土塁部分。道を通している為 かなり改変を受けたであろう。堀切の所に道を通したと思われる。
【右上】鍛冶ヶ城の郭、土塁  尾根上の50m程になる細長い郭で、土塁が道側に普請されている。


〜感想〜
山頂部はかなり改変されてしまっているが、各支尾根には堀切、郭等が確認できる。現地の解説板縄張図には 載っていないが、主郭の北西側、三の郭の南西側にも支尾根があり遺構が残る。
独立山の為、眺望は感動的に良い。 また、三州街道(伊那街道)と遠州街道を結ぶ道に位置する要衝で、武田統治時代も使用されていたと思われる。
二の郭の中央部土塁は現在は無いが、主郭の中央部土塁と合わせてこの城の特徴的な部分である。


行き方国道153号、山本郵便局を 東に入る。約3q先、城址公園公園入口を左折し約1q。
駐車場6台
撮影日2006年2月
参考文献宮坂武男『図解 山城探訪』第7集
参考サイト城跡巡り備忘録