櫛木城
 くしきじょう

《別名》 西光寺城 東筑摩郡波田町上波田



櫛置(くしき)氏は小笠原氏が甲斐から信濃へ入った時には、一門として同行していた古い家臣で、 「四天王」といわれている。
櫛置氏が波多郷へ入った年代については、諸説があって詳らかではないが、文明12年(1480)に 諏訪神社上社の与党であった仁科氏を攻め、西牧郷で人家千軒を焼いた前後、重臣櫛置九郎右衛門を波多郷の押さえとして置き、 西光寺の隣に櫛木城を、光明寺山頂に波田山城を築き、武士団20騎を配したと 考えられている。
その子、櫛木紀伊守政盛の時代と合わせ、父子で約50年間ここに在住していたと思われる。〔『波田町誌』〕

『櫛木城地形図』


【上】櫛木城より波田山城の眺め  北に梓川が流れ、その段丘を利用して築城されている。
現在城域は道路(上波田バイパス)が通り、耕作地、墓地など となっている。「城畑」を主郭として、東へ二の郭、三の郭が展開し、郭間は谷によって区切られていたと思われる。

【左上】櫛木城跡記念碑  墓地の片隅に昭和21年に建てられた。再興寺(西光寺)の草創は平安時代初期、大同元年(806) に田村将軍により中房山鬼神退治の祈願成就のため建立されたと伝えられる古寺。記銘によると元禄4年(1691)に廃されたようである。
【右上】記念碑西側の谷  主郭部分と思われる「城畑」とその東側二の郭、西光寺の間に深い谷が入り込んでおり、主郭を区切っている。 確認はできなかったが、『波田町誌』によると「城畑」南側にも空堀の跡があるようだ。


〜感想〜
櫛置氏は詰城として波田山城を持っていたが、櫛木城も段丘崖を利用した規模の大きいものであったようである。築城当時は 小笠原氏境目の城、軍事的緊張があった場所であり、駐屯地としても使用されていたと考えられる。
そして波田山城が武田氏によって破却された天文21年(1552)に、ここも破却されたと思われる。


行き方田村堂、波田神社の東側 段丘に沿って 道があり、解説板が立っている。
駐車場無し 路駐
撮影日2006年8月
参考文献 波田町誌編纂委員会編『波田町誌』歴史現代編 波田町 1983年
参考サイト城と古戦場
飛騨の山猿大王