桑原城

くわばらじょう




桑原城の麓には諏訪上社大祝の古い居館跡といわれる場所があり、諏訪氏の武士化と共に 桑原郷の桑原氏も武士化していった。そのことにより諏訪における最古の築城に属するといわれる。
文明15年(1483)下社金刺興春の攻撃に対し、上社方は桑原氏などが出陣して金刺氏を 討伐したことが文献にでてくる。
その後、天文11年(1542年)信玄が諏訪に侵攻した時、 惣領諏訪頼重は本城の 上原城から逃れ、 支城であるここ桑原城に立てこもる。 しかし、ついに降伏して諏訪頼重は甲府へ送られた後、切腹させられる。
<場所>諏訪市四賀桑原
<行き方>国道20号四賀信号を県道424号へ、
500mくらい進むと右側に登り口看板あり
<駐車場>登り口に3台
<撮影日>2003年6月、04年11月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】南側からの桑原城  主郭にある常緑の松が目立つ。現在の四賀地区上川沿いから見た桑原城。

『桑原城要図』



【左上】東下堀切  城域に入る最初の堀切。そのまま竪堀となっている。
桑原城に登るには北側の普門寺口と南側の桑原口とがある。 車の場合普門寺口からなら、そのまま東下堀切のすぐ下まで登って行ける。主郭まで約5分。 桑原口は仏法寺に車を置いて、徒歩20分程。
【右上】東曲輪より主郭の切岸  主郭の東下にある東曲輪には「首塚」といわれる大きい塚が 残っている。

【左上】主郭  周囲に土塁が一部残っており、特に東曲輪の上にあたる部分に良く残っている。
【右上】主郭より二の郭と間の堀切  主要な部分は主郭と二の郭の二カ所。周囲は切岸になっており、 東下に「東曲輪」、二の郭側の西下に「西曲輪」とよばれるやや広い削平地がある。

【左上】二の郭より主郭方面  堀切を挟んでおり二の郭の方が、先端部に近く、諏訪盆地を 見通せる。
【右上】二の郭南下より主郭方面  主郭、二の郭の北、南下は東曲輪と西曲輪をつなぐ通路になっている。

【左上】南西側段郭  西曲輪から「桑原口」という看板があり、そこを下りていくとかなり広い 郭が尾根下方へと続いている。現在遊歩道がついている桑原口は新しいもので、 この段郭の尾根を下りていくのが、本来の桑原口なのであろう。ちょうど仏法寺方向へ下りていく。 また、現在の桑原集落がその下にある。
【右上】二の郭より諏訪湖方面  南は現在の茅野市から北は諏訪湖の先まで周囲を一望できる。

上原城から北西へ2q弱の所にある桑原城。麓には旧甲州街道が南北に走り、桑原集落は 街道沿いの斜面に石垣を多用して、へばりついているという感じ。その石垣の中には かなり古いものも存在するらしく、戦国時代からのものもあるかもしれない。歴史ある 場所である。


〜頼重院(らいじゅういん)〜



【左】頼重院山門と本堂
天文11年(1542)7月、諏訪頼重は武田信玄に敗れ、甲府に送られ自害した。 墓は東光寺にあるが、 桑原城の麓であるこの地に菩提寺として頼重院が 建立され、供養塔が立てられた。
<場所>諏訪市四賀神戸
<行き方>国道20号四賀信号を県道424号へ、
四賀桑原信号を右折 旧甲州街道を南下
約1q先左側 神戸公民館向かい
<駐車場>専用駐車場有り
<撮影日>2004年11月



【左】諏訪頼重供養塔
高さ1m程の宝塔で石造りの覆い塔となっており、中に宝篋印塔が納めてあるという。
場所は本堂向かって左側脇。手前には新田次郎の歌碑がある。



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