前山城

まえやまじょう




鎌倉時代初期、小笠原時長が伴野庄の地頭となり、伴野氏と称して野沢に館を構えていた。 それが伴野氏館である。
その後隣庄の大井氏との抗争がはじまり、文明年間(1469〜87)の頃、伴野光利が詰めの城と して前山城を築城した。
天文17年(1548)信玄によって落城、以後信玄はここを佐久地方の重要な基地とし、伴野氏は 信玄に従った。
天正10年(1582)武田氏滅亡後、伴野氏は北条氏に与したが、徳川家康の家臣依田信蕃が佐久の 諸城を攻略し前山城も落城、城主伴野信守は討死した。
<場所>佐久市前山
<行き方>国道141号野沢西信号を西へ入る
県道145号1q先右カーブを前山寺方面へ直進
1q先前山寺の裏山
<駐車場>前山寺の駐車場4台、その先に6台
<撮影日>2004年1月
<参考文献>『日本城郭大系』8


【左上】城域最西部の二重の堀切  城へのアクセスはこの西側と主郭直下の東側の二カ所ある。 西側は前山寺の先にある霊園の道を登っていき、尾根に出たら東方向へ進んでいく。最初に遭遇するのが この堀切。ここから佐久平に突き出た尾根が城域になる。
【中上】三の丸西側の堀切  城域に入って50m程進むと三の丸に入る手前に堀切があり、竪堀として 両尾根下に落ち込んでいく。特に北側は断崖となっており、下には中沢川が流れる。
【右上】三の丸  夏場は藪で入れないのではと思うほどの枯れ草。南側には腰郭がある。

【左上】二の丸西側の堀切  三の丸との間にある堀切。規模は一番大きい。
【中上】二の丸西側  二の丸は二段になっており西側が低く、東側が切岸になっている。東側には 祠がある。
【右上】 二の丸より本丸方面  二の丸と本丸との間も堀切がある。ここの付近は見晴台として 整備されており、全体が確認できる。

【左上】本丸  佐久平に突き出た尾根上先端部にある為かなり細長く狭い。 前山寺から三の丸経由で寄り道しながら約20分。
【右上】最先端部より本丸、二の丸方面  この最先端、城域の最東部からの眺めは最高。

【左上】本丸より東方面の眺め  佐久平一帯が見渡せる。写真の奥の町中に伴野氏館がある。 ここから東方約2.5qの距離。
向こうの山麓には平賀城内山城志賀城などの城がある。
【右上】本丸より北方面の眺め  遠くに浅間山が見え、浅間山麓の城が見渡せる位置にあり、 対立していた大井氏の岩村田大井城も遠望できる。

【左上】本丸直下  本丸の東から南にかけて腰郭が巡らされている。東側はリンゴ畑になっており、 この下からも城に登ることができる。
【中上】前山寺本堂  この後ろの山の尾根にちょうど二重堀切がある。
【右上】伴野神社  前山寺の手前(東側)にある。若宮八幡宮と諏訪社を合祀している。


【左】東側城への登り口  県道沿いに青い案内板がある。こちらには駐車場が無く、道も狭いので 前山寺に車を置いて一周するのがいいと思う。 本丸から東側へ下りて前山寺まで徒歩約15分。



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