牧城まきじょう![]() 牧城は鎌倉時代に佐久から移ってきた滋野氏系香坂氏の城で、 香坂氏は牧場を経営して勢力を伸ばしていったと考えられている。 建武3年(1336)足利尊氏方の村上信貞に攻められ、牧城をめぐって攻防戦があった。 その後、文明年間(1469〜87)には、伊那小笠原氏に攻められた、府中小笠原長朝が ここに逃れてきたこともある。 永禄4年(1561)には、武田信玄により香坂氏は滅ぼされ、名跡は春日弾正虎綱が継いだ。 この地は当時の深志城将馬場信房が守備を兼ね、 牧之島城を新たに築いた。
【上】普光寺山門 山門の前に香坂牧城跡の石柱が建つ。当時の牧城の範囲は、牧野島集落から 牧之島城までを含めたかなり広い範囲であったという。普光寺は香坂氏の居館跡といわれる。 牧之島城三日月堀から普光寺まで約300m。 ![]() ![]() 【左上】普光寺 東側より 遺構と思われるものは確認できなかったが、北側は犀川の断崖、 西側は牧之島城のある犀川が蛇行する半島状の地である。東側が開口部になるのだが、 こちら側も少し下ると北側から深い犀川の浸食谷が入り込んできている。 【右上】普光寺 東側 道と犀川の間には段郭状に削平地が谷へと続く。耕作地になっているが、 当時からのものであろうか。 |