牧之島城

まきのしまじょう




この地には香坂氏が牧城を構えていたが、 永禄4年(1561)に信玄によって香坂氏が滅ぼされ、その後この地に 馬場信房の縄張りによって新たに牧之島城が築城された。 松本と善光寺間を押さえるのに絶好の地である。
武田氏滅亡後、上杉景勝が川中島を制圧し、牧之島城は小笠原方との境目の城として、 芋川親正が在城した。
<場所>上水内郡信州新町牧野島
<行き方>国道19号犀峡高入り口信号を入り800m
<駐車場>三の丸が駐車場10台
<撮影日>2003年8月、04年9月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】牧之島城南側  蛇行する犀川の断崖によって、南、西、北側の三方を守られている。

【左上】丸馬出し前の三日月堀  唯一地続きの東側に虎口が設けられ、武田氏による 丸馬出しが残る。当時三日月堀が水堀だったのかは疑問だが、きれいに残っている。 また、三日月堀の30m程東側に堀切の一部と思われる部分が南斜面に確認できる。
【右上】馬出し内部  三日月堀側に土塁が築かれている。

【左上】 三日月堀南側から眼下に広がる犀川の風景
【右上】千人桝形  馬出から空堀を渡った所が「千人桝形」という内桝形となっており、 当時もここに橋を架けて馬出しと繋がっていたと思われる。

【左上】本丸  昭和49年に史跡公園整備の目的で、本丸を中心に発掘調査が行われた。西側 に井戸跡が残る。
【右上】本丸より二の丸との間にある虎口部分  本丸は犀川断崖の南側を除いて、土塁に囲まれている。

【左上】二の丸より本丸桝形虎口部分  この桝形は発掘調査時に復元されたようだ。二の丸、本丸 間にも現在水堀がある。
【右上】本丸、二の丸西側の空堀  半島状地形の先端側だが、こちら側にも堀切状に大規模な 空堀が続けて2条ある。

【左上】馬場信房之城跡碑  本丸土塁北西側にひっそりと建っている。
【右上】案内板の縄張り図  上の図は丸馬出しが二つ平行になっているがこれは近世初頭の頃の古城図。 下が現在。


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