丸子城

まるこじょう




天正11年(1583)この付近の土豪が徳川家康に背き、真田昌幸 に抗したが制せられ、以後真田配下となる。その中に丸子城主の丸子氏も入っていた。
同13年、真田昌幸は徳川家康への上野沼田城の明け渡しを拒み、8月2日 徳川の大軍と上田城下東を流れる神川の付近で合戦し撃退した。「第一次上田合戦」
徳川軍は丸子城に矛先を変え、東側の八重原に布陣。昌幸は手白塚(塩川)に出てこれを牽制した。 8月19日、諏訪頼忠が丸子城攻撃を開始し、合戦が始まった。「丸子表(まるこおもて)の戦い」 丸子城主、丸子三左衛門(三右衛門)らが 少ない兵力ながらも城を守った。翌日、昌幸は長瀬河原へ出て、鉄砲で諏訪軍の背後を突き、これを 見た岡部長盛は軍を三手に分けて出撃し、河原町に放火し、真田軍を退け、辰ノ口側から丸子城に 攻めかかった。しかし、結局落城させることはできず、徳川軍は何も得ることなく帰ることになった。
【上】依田川より丸子城  依田川と内村川が合流するその間に挟まれた山に築かれている。ピークが 二カ所あり、先端が「二の郭」または「飯盛城(めしもりじょう)」と呼ばれ、奥が主郭のある丸子城中心部になる。 ここからは「二の郭」のピークが見えるだけで、主郭はさらに奥になる。

<場所>上田市腰越
<行き方>国道152号役場前信号西へ 依田川を渡ってすぐ左折  丸子公園より登城
<駐車場>公園大駐車場有り
<撮影日>2004年5月
<参考文献>『日本城郭大系』8



丸子公園北側から尾根を登っていくルートが一般的で、「二の郭」まで約10分。一旦下って 登り、主郭まで約10分。その他に南の腰越口、西側に東内口、御岳堂口がある。

【左上・中上】安良居神社とその周辺  丸子城北東麓にあるこの部分は根古屋だったと思われ、 正面に依田川が流れ、少し高台になって平坦地が広がっている。居館の推定地はここと 西側東内と二カ所ある。
【右上】二の郭手前の切岸部  尾根を登りはじめると整備された登山道で、階段がつくられ、 見晴らしのいいところには東屋が建っている。その中の一部はもともとの削平地で遺構だったものも あると思われる。二の郭手前にくると整備された道は下を回るように二の郭へ入るが、元の道はそのまま 切岸を上る岩場の急斜面となっている。

【左】二の郭  模擬物見櫓が建っており、付近が一望できる。また、主郭とは同じ尾根上ながら、 独立したピークであるため、飯盛城という名もついている。
【上】二の郭より北方面  丸子の街並み、遠くには上田、真田町が見える。

【左上】物見櫓より内村川上流方面  この谷を遡っていくと三才山峠を越えて松本へとつながる。
【中上】依田城方面  内村川を挟んで並んでいる。右側の尖った山。
【右上】主郭方面  尾根を一回少し下ってから再び登ることになる。


丸子城主郭部縄張り図
二の郭から行くと北側下から入ることになり、3条の堀切を越えて主郭部に入る。
西側には段郭があり、西側麓の御岳堂、東内登山口付近にも多数の小郭が見られる。
特に東内には居館跡といわれる広い削平地がある。

【左上】主郭北側下  遊歩道の右側上に段郭が連なっている。
【中上】主郭下の堀切  橋が架けられているが、現在残っているものはさほどの規模ではない。 しかし、竪堀となって麓の方まで落ちていく。
【右上】主郭北側  主郭は二段になっていて、北側は一段低くなっている。奥に見える切岸上 の東屋が建っている所が最上部。

【左上】主郭南側  北側から切岸を設け、土塁で囲んでいたというが、土塁は現在南側にわずかに 確認できるのみ。
【中上】丸子三左衛門の碑  主郭中央部に建っている。
【右上】主郭土塁  南隅にわずかに残っている。

【左上】主郭より依田川上流方面  こちらを遡っていくと和田峠、大門峠を経て諏訪方面に行ける。 ここは松本、諏訪方面から小県に出る要所であることがわかる。
【中上】東内登山口にある居館跡  北側の安良居神社の所と西側のここと居館跡と推定されている 所が二カ所ある。ここは現在林の中であるが、削平された100m以上の幅を持つ郭が確認できる。
【右上】宝蔵寺より丸子城全景  依田城東麓にある 宝蔵寺の岩谷堂観音からの眺め。主郭部が 木の陰になっているが、左側のピークが二の郭となって、尾根は依田川と内村川の合流点に向かって 高度を下げていく。



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